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カピラヴァットゥを出て7日の後、私(釈迦)はインド最大の強国だったマガダ国の首都、王舎城にたどりついた。商品の満ち溢れた道端の商家から客の呼ぶ声が競い合う中、女たちの嬌声が恥ずかしげもなくはなやかにまじってくる。私は目を伏せ路上の虫けら一匹も踏みつぶさないように注意しながらただ独り歩きつづけた。
突然甲冑をつけ槍をもった物々しい城の衛士(えじ)たちにとりかこまれていた。
「托鉢のお方、ビンビサーラ王が王城でお待ち申し上げております。ご同道ください。」私は黙って合掌しそのまま彼らの囲みを通り抜けていった。その中の一人が私の後をつけていたことに私は注意を払わなかった。彼は私が独居の場として選んだパンダヴァ山中の洞窟を見極めて帰っていった。
欲望は楽しみの少ないもので、苦しみや悩みを多く伴い、禍が多い。とわかっていたものの、欲望以外のところに、快楽の経験をしたことがなかった。それより更に魅力あるものを知らなかった。そのため欲望の魅力から逃れきることもできなかったのだ。という世尊の述懐の真摯差に驚愕(きょうがく)した。世尊のような最高無ニのお方がこんな若い日の未熟な自己をわざわざさらけださなくてもいいのではないか。と私はそう心中に思った。(アーナンダ)
「アーナンダ、悲しむことはない。お前が19歳の時に私に帰依して出家して以来、私が絶えず説き続けて、もう空気のようになってお前を取り巻いている言葉がある。生者必滅・会者定離、生まれた者は必ず死ぬ、会った者は必ず別れる、ということだ。私たちの生とは、一刻一刻死に近づいていることであり、言い換えれば生きるということは、やがて死にきるための営みだ。この世とは、死に至る短い道程に過ぎない。」
当時北インドはマガダ国とコーサラ国が二分していた。
マガダ国ではビンビサーラ王が世尊に深く帰依して竹林精舎を寄進したので、そこで長く滞在して布教していた。それに対抗するようにコーサラ国では祇園精舎を造り、世尊に寄進した。これはこの都一の大長者スダッタの寄進であった。
どの精舎も町から近からず、人々が世尊の法話を聴くために往来し易い所が選ばれた。その他には世尊はマガダ国の霊鷲山(りょうじゅせん)の岩屋の洞窟でわたしたちと暮らすことを好まれた。
私はなぜ世尊のような尊い悟りを開かれたお方が、そして数えきれない人々の苦しみや悩みを来られたお方が、これ程の病苦に見舞われるのか納得のいかない気持ちで腹立たしくてならなかった。(アーナンダ)
さあ、アーナンダよ、旅の用意をするように。これからアンバラッティカーの園に行こう。
そこにはビンサーラ王の別荘が美しい園の中にあった。その別荘は王舎城とナーランダーの中間にあった。世尊はそこまでも集まってきた人々に法話をされ、しばらく滞在されたが、また突然「アーナンダよ、ナーランダーへ行こう。」
霊鷲山(りょうじゅせん)から降り、竹林精舎に向かって歩きだされたそのときから、世尊の今度の旅は始まったと考えるべきだろう。その旅が世尊が「最後の旅」と心にきめられていることに、私はいつ気づいたのだろうか。
世尊は今や80歳になられた。ここ一年ほど前から、明らかに胃腸を弱くされている。
たまには世尊は一言もお答えにならず無言を続けられることがある。サーリブッタ長老は、それを世尊の「無記」と呼んで、深い意味があるのだという。
あの世はあるのかないのか。人はどこからきて、どこへ行くのか。そんな質問にはすべて「無記」の沈黙が返された。そんな愚問に答える必要がないとも取れるし、そんな深遠な問いに簡単に答えられようかとも取れる。もしかしたら、それらの疑問に対する答えを探すことこそがめいめいに課せられた求道の種子ではないかということなのか。
「アーナンダよ。明日の朝、旅に立とう。」「かしこまりました。」私はいつものように、ただ、そうお答えした。
世尊の体調はあれからも決して良好とは言い難い。食欲は減じたままだし、少し多く食が進まれたかなと喜んでいたら、下痢がはじまっている。ご自身で何もかも承知していらっしゃるので、座禅で精神統一され病苦をなだめていらっしゃるのを、私は黙っておろおろ見守っているより能がない。
世尊の寝息はおだやかで、寝顔もいつにもまして安らかで神々しい。頬の肉が落ちたせいで、きよらかな鼻筋がいっそう高く見える。老いても病まれても、これほどの美しさときよらかさを保っていられるのは、お心に一点の濁りも染みもとどめていらっしゃらないからだろう。その寝顔に、世尊の死顔を思わず重ねていたことに気づき、胸に冷や汗が湧き出ていた。世尊の死の時が近づいていることに気付いたのは何時からだろう。
出家して30年以上の毎日、世尊から聞かされた法話や講話の中味は、この世の無常を認める覚悟であった。愛別離苦、生老病死という人間の避けられない苦についても世尊の代理で講話ができるほど覚えこんでいる。
人はすべてしななければならぬ。人が生きているのは死にいたる道程を一歩一歩歩き進んでいることである。人は死ぬために生まれたのだ。それこそが世尊の教えの根本であった。
丘の頂上のお気に入りのチャーバラ樹の下にたどりつかれると、世尊はすぐにはお座りにならず、目の下に拡がった畑と野の様をしみじみ眺められた。畑の彼方に、町の建物が蜃気楼のように浮かんでいた。
「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。チャーバラ霊樹の地は楽しい」おだやかな地合いに満ちたお声がなお続いた。
「アーナンダよ、この世は美しい。人の命は甘美なものだ」
それから、ゆったりと、私の敷いた外衣を四つに畳んだ上にお座りになると、
「アーナンダよ、私の定命(じょうみょう)はすでに熟した」
世尊の愛はすべて深い慈悲から滲み出るもので、公平無私であった。
富める者よりも貧しい者、才能豊かな者よりも才乏しく、件名の努力の成果が一向に現れない者、五体健全で無病の者よりも、虚弱で、疾病をかかえている者、知才の恵まれた聡明な者よりも生まれつき愚鈍で、何をしてもたどたどしい者、幸運な者より不運にあえぐ者、この人生で負を多く背負った者たちに、世尊の慈愛の目がひきよせられるようであった。
朝起きて身支度を整えるとすぐ托鉢に出る。
ヴェーサリーの町々はいきいきと朝の営みを始めようとしていた。世尊のお姿を見ると、人々は声をあげて駆け寄ってきた。世尊は一人一人に親しみ深い柔和な微笑を返されて托鉢を進めていく。
「アーナンダ、パンダ村に行こう」「かしこまりました」
「アーナンダ、これがヴェーサリーの見納めになるだろう」
「ヴェーサリーは楽しい。ヴェーサリーは好きだ。この世は美しい。人の命は甘美なものだ」
二人はヴェーサリーから北へパンダ村に入り、さらに北路を採り、ボーガ市に向かった。ここでも多くの修行僧が集まってきて、世尊は精神統一や戒律についての講話をされた。世尊の体調が相変わらずなのに…
「さあ、アーナンダよ。バーヴァーに行こう」「かしこまりました」
パーヴァーでは、鍛冶屋の息子のチュンダの持ち物のマンゴ林の中に留まることになさった。チュンダは自分のマンゴー林に世尊がお泊りになると聞いて、家から林まで走ってきた。チュンダは感動で口もきけなかった。当然自分の家に泊まってほしいとお願いしたが、
世尊は、「いつもこうして林の中に泊めてもらうことにしている。この方が気楽でいいのだ」
チュンダは、「尊いお方さま、どうか、明朝私の家で食事を召し上がって下さいますように…、もちろんお供のあなたさまも」
世尊は何時ものように沈黙で承諾を示された。
翌朝「食事の用意が整いました」とチュンダがお迎えにきた。昨夜一晩中、徹夜で材料を集め、調理していたのだろう。小ざっぱりしたチュンダの家では、若い妻や、元気な子供たちが、盛装でかしこまって出迎えた。食卓には、あきれるばかりの沢山の料理が並んでいた。
「この煮物は最も上等の野豚でございます。世尊のお口に合いますようにと柔らかく柔らかく煮込んでございます。今日は何といってもこの茸をぜひぜひ召し上がっていただきとう存じます。これは野豚が踏んだ土地にできる特別の茸でございまして、不老長寿の薬だと伝わっています。とても私共の手に入るようなものではありませんのに、何という幸いか、昨日の朝、これを売りにまいったものがございました。まだ老父が中風で寝たきりですから、最後に孝行してやろうと思い、思い切って買い取りました。茸売りの教えてくれた通り、家内が料理しました。
世尊は進んで茸料理を召し上がった。息を呑んで御表情をうかがっているチュンダに「これは美味しい。しかし、女、子供は食べない方が良い。精が強烈な茸だから。私の食べた残りは土を掘って埋めなさい」
その日チュンダの家からマンゴー林に帰りつくと、たちまち世尊は猛烈な下痢をなさった。
鮮血が流れ、私は度を失ってしまった。
「チュンダの茸に当たった。あれは毒キノコかも知れない。しかしチュンダには絶対言ってはならない。あの男は不老長寿の茸だと信じきっていたのだから」
「アーナンダよ、心配するな、朝までに私の精神統一で血は止まるだろう。いよいよ死ぬ日が近くなった。しかしここでは死なない。さあ、アーナンダよ、次はクシナーラに行こう」
世尊は御病体のまま旅を続けられる。下痢と下血が止まらない状態なのに、どうしてこうまで先を急がれるのか。私たちの歩みは至ってのろい。
「アーナンダよ、疲れた。少し休みたい。場所をつくっておくれ」「喉が渇いた。水が欲しい」
「アーナンダよ、修行完成者、即ちブッダの皮膚の色は二つの時に清らかで光輝を放つものだ。一つはブッダが無上の悟りを達成した時、もうひとつは煩悩の全くない永遠の涅槃、ニルヴァーナに入る時である。この二つの時にはブッダの身体は光輝を放って金色になる。さて、アーナンダよ、今夜、遅く私はいよいよ永遠のニルヴァーナに入るだろう。涅槃の場所はクシナーラーのウヴァッタナにあるマッラ族の沙羅林の中だ」
「アーナンダよ、二本並んだ沙羅双樹の間に、私の寝床を作っておくれ。私は疲れた。横になりたい」
世尊はその上に北を枕にし、右脇を下につけて横になられ、足の上に足を重ねて、休まれた。
「アーナンダよ、アーナンダよ、どこへ行った」「はい、ここに居ります」
「天からは何ともいえない妙なる音楽が聞こえて、沙羅の樹に時ならぬ赤い花が枝一杯に咲き満ちたと思ったらその花が私の上に降りそそいできた。すると天からも曼荼羅華(まんだらげ)が降り注いできた。私の身体は花々に包みこまれてしまった。これこそが私の聖なる涅槃を祝福してくれる奇端であろうと、私は声をあげたようだ」
天上の音楽かと思ったのは、ねぐらに帰る小鳥たちの鳴き交わす声であった。
「アーナンダよ、末期の目に映るこの世はこよなく美しい」
「アーナンダよ、泣くな、悲しむな。私は常に説いてきたではないか。すべての愛するもの、好むものとは必ず別れる時がくると。逢うは別れの始めだと。およそ生じたもの、存在したものは、必ずなくなるということを。これらの理が破られることはないのだ」
「アーナンダよ、ここで私が入滅すればこのクシナーラーは永遠に記念される聖地となるだろう。さあ今のうちにクシナーラーの町へ行って、今夜この地でブッダが入滅するだろうことを」
クシナーラーのマッラ族の人々が家々から飛び出してきて、号泣したり、胸をかきむしったり、両手を振り上げたりして嘆き悲しんだ。彼らは続々と沙羅林に集まってきた。
「アーナンダよ、遅れて着いた比丘たちに私の最期の言葉を伝えてやるがよい。もろもろの事象は過ぎ去っていく。散逸を戒め、怠ることなく精進せよ。自らを灯明とし、自らを依拠として、法を灯明とし、法を依拠として勤め励めよ」
これがこの世で聞いた世尊の最後のお声だった。その後、世尊は静かにお目を閉ざされたまま、二度と開かれることはなかった。
80年の生涯のうち、正道以後の45年はご自分の個人生活のすべてを放棄して、ひたすら凡夫の迷妄を覚し、心の平安を得られるよう、インドの大地をご自分の足で歩き続け、衆生済度(しゅじょうさいど)の捨身行をお続けになられたのだった。
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