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真夏にもかかわらず相変わらず慌ただしい日が続いています。
1日は大阪木材業界長老が集まる一日会(例会場ホテル日航大阪)で村上木材社長と私が当日の当番幹事で、ゲストにソプラノ歌手喜多美幸さんをお招きし、プッチーニの蝶々夫人から「ある晴れた日に」「かわいい坊や」それに昔懐かしい童謡の数々を歌っていただきました。(伴奏は高島春樹君)
大阪木材業界の大長老の方々もうっとりと聴き入ってくれていました。
3日からは我が国最大医療グループ・H記念医療グループの理事長T先生一行を安比高原ホテルにお迎えし、二日間安比高原ゴルフ倶楽部でゴルフのお供をさせていただきました。朝晩は気温18℃で涼しい中ゴルフを堪能していただきました。先生は二泊三日、私は5泊。
帰宅翌日9日からは台風来襲で九州・近畿地方は記録的な豪雨。
13日から友人7人と恒例のタイ・バンコク・ゴルフ旅行出発。
初日到着後本格的なタイ料理レストラン。二日目はナバタニゴルフコースでゴルフ後、バンコクオリエンタルホテルでのバイキング・ビュッフェ昼食、そしてマッサージ。三日目も同じくゴルフ後コンラッドホテルの本格的中華料理、そしてマッサージ。四日目も同じくゴルフ後タイ式しゃぶしゃぶ、そしてマッサージ。いずれも知る人ぞ知るバンコク名料理ばかり。毎日一日一食お腹いっぱい、おいしくいただきました。あっという間にスケジュールが過ぎ、17日帰国。参加者全員大満足のバンコク旅行でした。
安比高原・バンコク滞在中にサマーセット・モームの「月と六ペンス」を読破しようと携帯したのですが、途中の飛行機の中に忘れてしまったようで、読書途中で紛失してしまいました。
夜は若い友人たちはバンコクの街へ繰り出すなか、私はひとり部屋に残りipodイヤホンで静かに音楽を聴くこととなりました。
そのなかで、三浦布美子の端唄集に・・・その中に忘れもしない「深川くずし」が入っていてなつかしく聴き入ったのでした。
そうです。55年前の感激の事件が蘇ってきたのです。
あれは私が学生時代20歳のころ。
私の父親が病に倒れ、入退院を繰り返しておりました。
私は会社と病院を行き来し、心ならずも会社経営の首を突っ込むことになっていました。
当時父親と親交深かった東京・木場の木材製品輸出工業会の大手メーカーの社長や専務に何故か私が東京へ呼びだされたのです。「横尾木材の息子を激励してやろう」そんな意図だったようです。夕刻羽田空港に降り立つと当時では珍しいA製材のH専務さん専用車・キャデラックが迎えてくれました。当時羽田空港から深川木場までタクシー代が2千円あまりだったと思いますが、私はうんと年上の運転手さんに心付け3千円差し上げたのを覚えています。
深川の料亭に横付けされました。あまり広くもない十数畳の部屋に通されると私より先に二人ほどお見えでした。しばらくすると数人の木場の大旦那衆も到着し、そして深川の芸者さん、地方さん・立ち方さん含め、おそらくお客さんの数ぐらいは呼んでいたようです。
宴会が始まりました。私は若かったのでかしこまって座っていました。某大手商社の木材部課長が「木遣り」を歌って座を盛り上げていました。
やがて私も「深川くずし」という地元の端唄を少しお稽古させられました。
宴が進むにつれて、木場の大旦那衆が一人消え、二人消えと・・・そのうちに芸者衆も年寄芸者から知らぬ間に消えていきました。
あれよあれよという間に、とうとう私は客人ひとり、そして最も若い小柄なちょっと可愛い芸者と二人きりになってしまったことに気付いたのでした。
不覚にもその芸者の名前は忘れましたが、白無垢の着物に紐帯だけで、その上から羽織をしていることに気付きました。
お互いに交わす言葉もなく無言…、その芸者は無言で部屋の襖を開けに立ちました。
なんと、隣の小部屋には布団が敷いてあり、枕が二つ並んでいるのでした。
「さあ、お風呂に一緒に入りましょ!」
廊下をはさんで斜め向かいにはちょっと古くなった檜風呂がガラス越しに…。
「もう、流れに任すしかないわ」と覚悟を決めて言われるがままに…
彼女は羽織を脱ぎ、紐帯を解くと、あとは何枚重ねていたのか…、白無垢の着物は一気に畳の上にすべり落ちました。
小柄な女の裸が…。
二人でお風呂に入り、あとは何が何だかよくわからずアッと言う間に終わってしまい、そのまま寝入ってしまったのでした。
恥ずかしながらこれが私の最初の体験でした。 |
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