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私も満75歳。ロータリー歴35年である。職業分類は木材輸入販売。所謂材木屋である。
戦後から今日まで材木屋も最も経営環境の変化に翻弄され続けた業種のひとつである。
私どもも同様であり、社有不動産や個人不動産の売り喰いとあの手この手の方向転換で倒れる事無く生き延びてきた。
現在の正確な業はプレカット加工業である。木造住宅のコンピューターやロボットを駆使しての工場生産である。平成7年に開始し今日に至っている。
この過程において私は苦境を何度も経験したが、特に大阪西ロータリークラブの先輩たちの数々の教えが、私の経営哲学のバックボーンになって乗り越えたと言える。
今日はその一部しか紹介できないが、・・・
もう30年位前になろうか? 当クラブの大先輩・新井正明さん(当時住友生命会長、関西師友協会会長、後に松下政経塾塾長など)には、大阪淀川ロータリークラブへ良くメーキャップしておられ同席、私も安岡正篤先生の著書など少し読んでいたのが縁で、安岡先生の話題などで親しくお話しをお伺いさせていただいた。
「横尾さん、中国の古典に親しみなさい。会社をつぶすようなことは起こりませんよ!」
「取りあえず私が会長している『関西師友協会』へ入会しなさい。それから『到知』という雑誌社に言っておくから、この雑誌を購読しなさい。」
早速送られてきた「致知」という雑誌の中の記事「芳村思風論文」に大きな衝撃を受けた。それは人生を如何に生きるべきか? 人間の根幹の問題に触れていた。
論文は「汝自らを知れ!」というソクラテスの言葉で始まっていた。
人間はどのような生き方を基本に置くべきか?
それは自分は不完全な人間であることの自覚。「失敗した」「罪を犯した」という悔いる心が湧き出ていなければ本物の人間になれない。私達は自分自身の過去を振り返ってみると必ず、罪の意識がある。(法律上の罪ではない)。
人間の最も大切な基本的な生き方は「自分の不完全性を自覚し、謙虚に生きる」ということであると芳村先生は説いている。
そして人間の「三大価値」は「眞・美・善」であるが、「謙虚さの欠いた真理の主張」「謙虚さの欠いた正義の主張」は人間の対立を招くだけで、戦争の火種に過ぎない。「いかに美人でも謙虚さが根底になかったら、その美は失せてしまう。」 「いかに善いことをしても、「傲慢なる善」「謙虚さを欠いた善は偽善」としか言いようがない。
人間が本物の人間であるためには三つの条件が要る。
(1)不完全性の自覚から来る謙虚さ
(2)より以上のものを目指して生きる
(3)自分は社会的な存在であるという自覚
自分自身がより良い者を目指して成長しても、それだけでは自己満足に過ぎない。他人に必要とされる人間にならなければならない。人に役立つ存在でなければならない。
芳村思風先生は「人間は人生を賭けても、命を賭けても自己実現しなければならないことが二つある。」としている。それは「意思」と「愛」であると。
人生の目的は意思を実現することであり、愛を実現することである。より以上のものを目指して生きること、即ち意思を実現すること。職業において成功することである。(金儲けではない)
愛を実現することは「人の役に立つ」「家族を愛する」「よき人間関係を築く」ことである。
そしてこれを突き詰めていくと「命を賭けてもいい」「このためなら死んでもいい」という人生目的がはっきり見えてくるはずだ。としている。
人間において生きるとは、ただ単に生きながらえることではない。何のためにこの命を使うか? この命をどう生かすか? 人生の目的が見えてくるはずだ。 と説いている。
人生とはその大半が苦から楽への、悲しみから喜びのプロセスだ。このプロセスそのものにどう生きていくかである。
人間は「これが自分の哲学だ」というものをもたなければならない。自分の哲学がなければけっして幸せをつかむことはできない。
「先見性」は理念を語る哲学から生まれる。理念が大切なのではない。理念を問い続けることである。と説いている。
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