平成25年11月30日  仏心の中に生き死にはない(2)

ヤソーダラー(釈迦の妻)の死後の述懐

自分が実際に死んでみて、眠りと死の違いをようやくはっきりと知ることが出来ました。
眠りは心身を休めるための弛緩に過ぎません。死は新しい生への新鮮な出発だったのです。
私の死は、ある時、急に胸がきりきりと差し込んできたと思ったら、そのまま死んでしまっていたのです。尼僧院で多くの尼僧の死を看取り、見送りましたが、私のようにあっけない死に方をした者は他にはおりませんでした。
人は死ぬ前、一生分の過去を一瞬に一気に思い浮かべるとか聞きましたけれど、私は今際(いまわ)の際に思い出すことも仏への懺悔もできなかった一生分の過去を、今、死んでから想起しています。
私は生きている間、そんなに怖ろしいほどの懺悔をしなければならないほど、罪の意識はありませんでした。我儘で、短気で、激し易く、怒りっぽい性格でしたけれど、私の開けっぴろげな性質は、人に陰険ないじわるをしたことはないし、たいていの怒りも二日ももったことはありません。尼僧たちは私に親しみ、心の悩みをなんでも打ちあけ、相談しました。
悟りに縁遠い私には、彼女たちが納得するような何の答も与えることができませんでした。けれども彼女たちと同じ量の涙を流すことが出来ました。人は苦悩を誰かに分かち持ってもらえたら、少なくともその日はささやかな安堵の中に浸れるのだと知りました。

なつかしいお方、尊いお方。
死んではじめて、私を長い間苦しめていた妄想が、全くの妄想に過ぎなかったということが、はらりと解ったのです。
渇愛を生む嫉妬も、どんなに浅ましいものか、も味わい知りました。
無明のなかに抱いている煩悩も、死がたちまち火を消し、洗い流してくれるということは、何という恩寵でしょう。
私は死んで今、はじめて身も心も清浄になりました。
夫であるあなたの教えは、すべて正かったのです。

               (当社常務故松村美博君の死を悼んで)





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