平成25年4月13日  さざなみや・・・

今年のロータリーの友人たちとの桜見物は湖北地方、湖上から琵琶湖北湖畔に咲く桜見物となりました。

観光バスで琵琶湖北岸に到着後、われわれは小さなポンポン船に乗せられて桜見物としゃれこみました。天候は晴れ微風、絶好のお花見日和です。
琵琶湖北岸沿いに植えられた大量のソメイヨシノの桜並木、山の斜面には自生の白い山桜が今が盛りと見事に咲き誇っていました。 誰かが「桜と女性は近くで観る方が良い!」とか言いながら・・・も、私はふと

      さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 
           昔ながらの 山桜かな
                        平 忠度 

の短歌を思い出し、「平家物語」の遠い昔に想いを馳せていました。
「さざなみ」は志賀の枕詞ですが、この日は殊のほか穏やかな天候、琵琶湖ならではの「さざなみ」の上を我々の船はゆっくりとすべるように進みながら桜見物を満喫したのでした。
あの平清盛の弟・平忠度が木曾義仲との戦いの前に、死を覚悟して、和歌の師・藤原俊成に託した歌としてあまりにも有名です。藤原俊成はこの歌を詠み人知らずとして、自ら編纂した「千載和歌集」などに残しています。平忠度は一ノ谷の戦いに敗れ戦死しました。
さらに忠度は

      行きくれて 木の下かげを 宿とせば
           花やこよひの あるじならまし

という一首を身につけていたといいます。

平家物語のなかの私の大好きなくだりです。もう少し詳しく述べますと、
反平家の火の手が各地であがるなか、平清盛が病死します。
信濃に兵をあげた木曾義仲は北陸路から都へ攻め上がろうとします。平家は維盛(これもり),道盛を大将軍に、忠度、経正、知度(とものり)らを副将軍として、十万余騎で義仲追い打ちの軍を進めます。しかし加賀・越中の国境・くりから谷で義仲軍の奇襲を受け、大半が谷底へ追い落され、さらに続く合戦でも敗れて、京都へ逃げ帰ります。
義仲は比叡山の大衆を味方につけて京都に迫ります。ついに平家は安徳天皇を奉じて、一門総崩れで、都を捨て、西国へ落ちて行きます。
この混乱のなか文武に秀でた平忠度は一旦京都を出ましたが、わずか七騎で引き返し、五条の三位藤原俊成を訪れ、生涯の面目に、勅撰和歌集に歌を入れて欲しいと願って、再び西へ落ちていきました。


「そののち世静まって、千載集を撰ぜられかるに、忠度のありしありさま、言ひ置きし言の葉、今さら思ひ出てあはれなりければ、かの巻物のうちにさりぬべき歌どもいくらもありけれども、勅撰の人なれば、名字をばあらはされず、故郷の花といふ題にて詠まれたりける歌一首ぞ、詠み人知らずと入れられける。

     さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

その身朝敵となりし上は、子細に及ばずと言ひながら、恨めしかりしことどもなり。」


と平家物語はこの段を結んでおります。
涙を誘う平家物語の一場面です。

琵琶湖湖上からの桜見物の後、私たちは数ある十一面観音像に中で世界一美しいといわれている、JR北陸線高月駅にほど近い渡岸寺の国宝・十一面観音像を拝観しました。
今から約1250年前の天平8年聖武天皇が当時大流行した疫病疱瘡を徐病除災のため、勅命により彫られた観音像とのことです。
「頂上仏面が菩薩相で、五体の化仏のあるほかは、きわめて儀軌に忠実であり、左右夫々の一面を耳のうしろに大きく表現するなど、密教像特有の印度的な感じをよく伝えています。像高は約1.95メートル。一木彫成です。眉から鼻にかけての秀麗な線、かたく結ばれた唇(から漏れるかすかなほほえみ)など、その豊かな顔容には崇高な森厳さがひめられています。そして腰をわずかにひねるかのような豊麗な姿態に、仏身ながら官能的な量感をさえ感じます。これらのことは平安初期の様式を代表するすぐれた遺例として奈良法華寺の十一面観音と併称される所以であります。」とあります。
また現在に到るまでには幾多の戦火に遭い、土地の住民はやむなく土中に埋蔵して、漸く難を免れたといわれています。
私は約20年前に一度拝顔しその美しさに心を打たれ、立ちすくんでいたのを覚えていますが、また再訪できて尚一層その妖艶なお姿に感動したのであります。

     むらびとと いくさのがれし くわんおんは 
          いまおだやかに ほほえみたまふ

集合時間過ぎ、同伴者に迷惑をかけてしまった私を最後に乗せて、バスは桜並木の街道を次の目的地・彦根に近い多賀大社へ向ったのであります。       
多賀大社はいざなぎの大神(男神さま)といざなみの大神(女神さま)をご祭神としている、誠に由緒ある大社であります。
古事記によると、この両神は高天原で初めて夫婦の道を始められ、天照大神をはじめとする八百万の神、我々人間をはじめ草木一切にいたるまで、ありとあらゆる生命をお生みになりました。その後、琵琶湖を西に臨む杉坂山にご降臨になり、多賀の霊地に永久に鎮座になったと伝えているそうです。

     お伊勢参らば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の 子でござる

私たち一行はこの大神のみ前で厳かに家内安全・無病息災を祈願・祈祷していただきました。境内にはソメイヨシノの大木が満開の花びらをいっぱいに・・・!

今年も思う存分桜が観れた幸せに感謝しつつ帰途についたのでした。



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