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人間はある程度の利己的なところがあるのは当然である。いかに友情が厚くも、いかに忠義な家来でも、我身可愛いにかわりない。肉体の苦痛は他人に通じはしない。その人その人が自己の生命を愛し、またできるだけ自分に託された一つの生命に忠実になろうとすることは良い事なので、自分の為に他人を曲げようとするのは、曲げようとする方が良くないので、その時他人が曲らなかったからと不平をいう権利はないのだ。
友情の評価は両方の独立性を傷つけずに付き合えるという点にあるのだ。お互いに自己を偽って仲良くなっているのだったら、その友情はお互いに害がある。お互いが自我を守り、お互いが自己を生かし、それでますますお互いに信頼でき、尊敬できるところに美しい友情は成り立つのだ。もちろん特別な場合、犠牲的にお互いを助け合う必要な時もあるであろう。生命の危険を忘れて助ける事もあろう。しかしそれはいざと言う時である。普段、一番当り前の時の友情はお互いは自己を曲げずに自分の確信のままに生き、自分のいいと思う道を各自、歩きつつ仲良くやってゆけるのが本当の友情である。甲が七分自分の我を通すと、乙は三分きり我を通せなくなる。そこで乙は三分の我で辛抱し、甲は七分の我で押し通し、そこで友情がやっと保てる。もし友情というものが、そういう物なら友情はばかげたものである。
しかし、友情はそんな物ではないのだ。甲は十、自分を生かし乙はまた十、自分を生かしてそれでますます仲良く出来るところが友情のおもしろいところであり、また価値のあるところだ。(武者小路実篤) |
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