平成25年3月18日  人生を考える(10) 出会いと交友

  「縁尋機妙」

いい縁がさらにいい縁を尋ねてその発展が実に機妙である。
 



  「多逢聖因」

いい人に交わっているといつの間にか、いい結果が恵まれる。
 



  晏平仲(あんぺいちゅう)よく人と交わる。久しうして人これを敬す(論語)

晏平仲という人は人づき合いのいい人間であった。彼と付き合ったものはだんだん時間が経つにつれて彼を尊敬するようになった。
 



  「不請之友」(無量寿経)

大乗の求道者の行い。頼まれなくても進んで助けてくれる友。
 



  人生いずれのところにか相逢わざらん(宋名臣言行録)

人間はどこでどんな人と逢うか分からないものだ。
 



  一沐三捉(いちもくさんぞく)、一飯三吐(いっぱんさんと)の教え
[周王朝を創始した武王の弟、周公且]

私は人が訪ねてくれば、いつでも会うように務めている。入浴中であろうが何度でも中断して髪をしぼり(一沐するに三たび髪を捉え)食事中だろうが何度でも中断して口中の食物を吐き出し、(一飯するに三たび哺を吐く)礼をかかさないようにしている。それでもなお優秀な人材を逃がしてはいないかと気がかりでならない。どんな相手であろうと人間は、無限の可能性を秘めている。その出会から何が生れてくるか分からないのである。
 



  「一心を以て万友に交はるべし。二心以て一友に交はるべからず」
(「酔古堂剣掃」)
 



  「友と交わるには須らく三分の侠気を帯ぶべし。人となるには一点の素心を存するを要す。」(菜根譚)

本当の友人として付き合うには打算からではなく、三分の男気が必要である。一人前の人物になるには一点の純粋な本心がなくてはいけない。
 



  「心の健康」はやはり、心から話し合える友人を持つことが大きな心の支えになる。

友人には、心の友、賢友、道友、善友、親友などいろいろある。できるだけ心の友を多く持つことである。また、友人とて生身の人間である。時と場合によっては、少し距離を置いて付き合うことも必要である。友人との「間合い」を大切にする事が、長く友人関係を保つ秘訣である。
 



  妻を選ぶ時は、階段を一歩降り、友を選ぶ時は階段を一歩上がれ。
(タルムード)
 



  友が怒った時に宥めようとするな、悲しんでいる時に慰めるな。
(タルムード)
 



  人間はある程度の利己的なところがあるのは当然である。いかに友情が厚くも、いかに忠義な家来でも、我身可愛いにかわりない。肉体の苦痛は他人に通じはしない。その人その人が自己の生命を愛し、またできるだけ自分に託された一つの生命に忠実になろうとすることは良い事なので、自分の為に他人を曲げようとするのは、曲げようとする方が良くないので、その時他人が曲らなかったからと不平をいう権利はないのだ。
 
友情の評価は両方の独立性を傷つけずに付き合えるという点にあるのだ。お互いに自己を偽って仲良くなっているのだったら、その友情はお互いに害がある。お互いが自我を守り、お互いが自己を生かし、それでますますお互いに信頼でき、尊敬できるところに美しい友情は成り立つのだ。もちろん特別な場合、犠牲的にお互いを助け合う必要な時もあるであろう。生命の危険を忘れて助ける事もあろう。しかしそれはいざと言う時である。普段、一番当り前の時の友情はお互いは自己を曲げずに自分の確信のままに生き、自分のいいと思う道を各自、歩きつつ仲良くやってゆけるのが本当の友情である。甲が七分自分の我を通すと、乙は三分きり我を通せなくなる。そこで乙は三分の我で辛抱し、甲は七分の我で押し通し、そこで友情がやっと保てる。もし友情というものが、そういう物なら友情はばかげたものである。

しかし、友情はそんな物ではないのだ。甲は十、自分を生かし乙はまた十、自分を生かしてそれでますます仲良く出来るところが友情のおもしろいところであり、また価値のあるところだ。(武者小路実篤)
 



  無友不如己者(論語)

己(おのれ)に如(し)かざる者を友とすること無かれ。
自分より劣ったものを友人とするな。自分の人格的向上を助けてくれる者こそが、君子の友人である。
 



  賢を見て斉(ひと)しからん事を思い、不賢を見ては内に自(みずか)ら省みるなり。(論語)

自分よりもすぐれた人物を見ては、その人のようになろうと心がけろ。
 



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