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今冬も例年以上に寒さが身にこたえます。やはり寄る年波のせいなのか、午前中がしんどい状態が続きます。
ということで、この冬もできるだけ暖かい地域に避難しようと計画しました。
そこでまず、1月10日から13日まではロータリー友人仲間と沖縄本島へゴルフツアーに行ってまいりました。
そして26日から30日までは家内共々日本最南端・南西諸島の一つ小浜島の「はいむるぶし」というリゾートホテルに滞在しました。
テレビ報道などでは東京も大阪も極寒の天候が続いているようですが、当地の気温は昼間は24度前後と初夏を思わせるような気候で、寒がりやの私でもセーターを脱いで過ごすことが多く、周りを見るとほとんどの人がポロシャツ一枚で事足りているようです。
今回、遠方にもかかわらずこの地小浜島のリゾートホテル・はいむるぶしを選んだのは今から35年前のオープン時に友人家族と私どもの家族とで滞在したことがあり、当時さすがヤマハが伊勢志摩の「合歓の郷」に次いで手がけた素晴らしいリゾート施設! との印象が頭から離れず、「いつかは再訪を!」と願っていたからです。
敷地内や各部屋からの海や島々の眺望がすばらしく、潮の干満にあわせて無数の鳥が目の前にやってきます。天候の良い日の夕陽は真っ赤に輝き沈んでいきます。あたりの空も真っ赤に焦がします。夜になると満天の星が輝き、真上にはシリウスという恒星が木星より大きく輝いています。
当時、丁度満月だったその夜は無数のゴルフボールより少し大きい程度の「赤いカニ」の大群が敷地内の道を横切り海岸に向かっており、足の踏み場もない私達は海岸での夜の散歩を諦めたという鮮烈な印象が残っていたのです。日本で最も美しい自然の残された島だと確信していたからです。
小浜島は周囲約17キロ、人口約550人、サトウキビ農家と最近では牧畜農家が多いとのことでした。サトウキビは毎年1月から3月までが収穫期でこの頃になるとススキのような花が咲きます。花が咲くと栄養分が花の方に行ってしまうので、あわてて収穫するとのことです。
小浜島もあの頃からするとさすがに俗化された感は否めません。それでも自然のたっぷり残された美しい島でした。
35年前のカニのことをホテルのスタッフに問い合わせると誰一人知った人がいません。
「そうか!みんなまだ生まれていない頃の話だからなぁ」。
仕方なくマイクロバスの運転手さんに物知りの老人の住んでいる家に案内してもらいました。
そのカニは「みつまんどうガに(道迷ガに)といって海岸で生まれ、陸に上って穴を掘り生息しているカニで最近めっきり見られなくなった。もう、そんなことを知っている人はあまり居ませんよ。」とのことでした。
開発が進み、ゴミの焼却場も充分でなくそのためカラスが異常繁殖し、しかも人間が本土から持ち込んだ孔雀もまたカラスと一緒になって在来種のカニやカエルをはじめ天然記念物に指定されている小動物をもほとんど食べ尽くしてしまったとのことでした。
そういえば28日ゴルフをしたとき、コース内には気持ち悪いほどのカラスの群れにでくわしました。カラスの死骸に群がるカラスたちにも・・・。そしてなんとも色鮮やかな孔雀たちの群れにも・・・。
現在では石垣島の猟友会の方に依頼して、増えすぎた孔雀を駆除してもらっているとのことです。「孔雀の肉はどんな料理方法でもまずくて食べられないですよ!」
つくづく私達人間の身勝手さを思い知らされた次第です。
小浜島の周りはすべてあくまでも透明度の高いコバルトブルーの美しい静かな海、そして緑の島々です。小浜島を挟んでいる石垣島と西表島、そして平べったい竹富島、新城島、黒島、それにごくごく小さい無人島・嘉弥真島などなど。
西表島と小浜島との最短部分では2キロにも満たず、少し泳ぎの達者な人であれば泳いで渡れそうな距離ですが、その間にはヨナラ水道という、水浸60メートルにも達する幅百メートルほどの海溝があり、その部分が急流を作って、未だ泳いで渡った人は居ないとのことで、そこはあの幻の魚マンタの生息地になっており、その海溝部分だけは一層濃いコバルトブルーの帯をなしていました。
ともあれ、私達夫婦は石垣島への社員旅行のお供にと、飛行便を別けて小浜島へ再訪したのですが、大阪との気温差があり過ぎ、冬に体調を崩す私にとってはまさに天国。寒さに震えて不自由な生活を余儀なくされて居られる震災に遭われた東北の皆さんに申し訳ない気持ちいっぱいでした。
そしてホテルスタッフのもてなし、特にレストランの山本真希さん(奈良県桜井市出身)の親切なおもてなしには改めて感謝申し上げます。
一部男性スタッフにお客の要望を無視しマニュアル通りの対応しかできない人が居り、後味の悪さを残したことを除けば、まことに有難い満足のいく旅行滞在でした。 |
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