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宝塚ゴルフ倶楽部・宝友会のゴルフ仲間に長尾和宏さんという男がいます。
彼は尼崎の町医者という目線から、終末医療の問題・課題に真剣に取り上げ、産経新聞に毎週連載記事を掲載し、多くの著書を著している現在注目されている男です。
先日もロータリークラブ・大阪地区全体の大切な行事である地区勉強会(インターシティ・ミーティング)に招かれ基調講演をしてくれていました。
以下がその要旨です。
「認知症は決して急に悪化する病気ではありません。ゆっくり進み、知らないうちになっていたという病気です。会社でトラブルを頻繁に起こしたり、病院で言い争ったり、家族におかしい言動をとるようになってから、どうも変だ、診察してもらった方がいいだろうかと悩み、病院へ行くのが遅れるというのが常です。
認知症に処方される薬
十数年前、「アリセプト」という薬が開発され、世界中で使われ始めました。
アルツハイマー病とは、脳の中の神経伝達物質のアセチルコリンが不足している病気で、アセチルコリンの量を増やすのがこの薬の特徴です。
といっても、病気を治すのではなく、進行のスピードを緩める効果しかありません。
アルツハイマー病は、アミロイドベーターという、いわばゴミのような物質が脳内に沈着することで起きます。
なぜ沈着するのかは、よくわかりません。
アルツハイマー病にはいまだ根本治療がなく、足りなくなったアセチルコリンを増やすという対処療法しかありません。
「アリセプト」は初期に投与するほどよく効き、高度期には効きにくい感があります。
昨年、三つの新薬が発売されました。パッチタイプの「リバスチグミン」、飲み薬の「レミニール」と「メマリー」です。
それぞれ守備範囲が違い、初期から中等度までが「リバスチグミン」と「レミニール」、「メマリー」は中等度から高度に服用し、「アリセプト」に加えて処方することが多いです。
認知症の薬は「初期の人ほど効きやすい」「飲むなら早めに飲んだ方がいい」「治すのではなく、症状の進行を遅らせるための薬だ」ということを理解して下さい。
認知症は「中核症状」と「周辺症状」に分けて考えられています。
中核症状とは ”記憶がなくなる“ こと。
特に、「最近のことが覚えられなくなりますが、昔のことは鮮明に覚えています。」という近い記憶が出てこないのが中核症状です。
一方、「周辺症状」としては、「徘徊」が挙げられます。特に冬のように暗くて寒い憂鬱になるような季節には、やたら徘徊が増えてきます。妄想も出てきます。「妻が浮気をしている」「嫁がお金を取った」などがその例です。幻覚も現れ、ネコがいる、人がいると訴えます。あるいは暴言を吐く、杖を振り回す人もいます。診察していると、朝から晩まで毎日、そんな人ばかりです。
家庭で診きれない。見張り役がいる。施設に入れた方がいいのではないか。と悩むようになります。
実は、この周辺症状をどう抑えていくのかが医師の腕の見せ所なのです。
「アリセプト」などは、中核症状を抑える薬です。周辺症状に対しては、時には精神病の患者さんに投与する妄想を抑える薬まで投与するのが通常です。中核症状の薬と周辺症状の薬を組み合わせて使うものだと理解して下さい。
認知症の初期に診断され、薬を飲んでいても、ワァワァ騒ぐようになったり、徘徊をしたり、大変になってくるのが中等度の時期です。それも後半になってくると、日常生活にも支障をきたすようになったり、家族では「いよいよ家では無理だ」という局面になります。そこでいろいろな介護施設を探すことになります。
まず、「特別養護老人ホーム(特養)」。費用は安いのですが、入居希望者が多くてなかなか入れません。
「老人保健施設(老健)」は本来は病院から家に帰るための途中の時期を過ごし、自宅へ帰る訓練をするための施設ですが、今の老健はほぼ特養と似てきて、認知症患者がたくさんくらしていて、よく「特養待ち」といわれます。
「療養病床」という、いわゆる老人病院にも認知症の人はおられますし、「サービス付き高齢者向け住宅」にも認知症の方が多く入居されています。
厚生労働省は「小規模多機能住宅」の設置を勧めていますが、まだこの施設は増えていません。
「有料老人ホーム」は入居時にも入居後にもたくさんのお金が必要で、自室はワンルーム程度の広さということも多いでしょうか。
さらに「グループホーム」では1ユニット9人で暮らし、台所やリビングがあり、なるべくこれまでの「生活」を維持しようというコンセプトです。費用はそれなりに高く、全部でやはり月額20万円ぐらいかかります。
在宅医療を受けている認知症患者が肺炎を起こして入院が必要になることがあります。しかし「認知症がある」というと入院はダメだと断られます。
実際に在宅時の認知症の症状は軽くても、入院した途端暴れだす人もいます。そうなると、病院から家族も病室で寝泊まりするよう求められ、簡易ベッドに添い寝の介助となり、そのうち音を上げてしまうのが常です。
中等度の認知症患者が療養を受ける場所がない。これだけニーズがあるのに入院もできない。この病気の置かれた状況の厳しさに、ご家族は初めて気づきます。ご家族は当事者になってみて初めて、認知症療養の場の貧弱さに愕然とします。
在宅療養の現場での認知度には、介護が大きなウエートを占めてきます。病院に入院中は「医療保険」一本ですが、病院を出たとたんに「医療保険」と「介護保険」の二本立てになります。医療にあたる医師と、介護にあたるケアマネージャーがしっかり連携することが必要です。
認知症で最後まで家で看取るのは四割ぐらいだろうと、日々の診療をしながら実感します。
介護保険制度ができてもけっして万能ではなく、NPOやボランティアが補完しなければならないのが現状です。
それから、認知症の「終末期医療」についてですが、最期が近づくと、だんだん食べられなくなります。これをどう考えるかが今、大きな問題となっています。
胃に穴をあけて管を入れ、そこから栄養剤を入れていく方法が「胃ろう」です。もともとは、生まれながら食道が閉鎖しているような先天性の疾患を持っている子供さんのため、開発された措置です。今、日本には四十万人もの胃ろう患者がいて、その多くが高齢者です。
胃ろうをいれると、栄養状態が改善されるため、床ずれは治まってきます。元気になってまたたべられるようにもなりますが、最終的にはまた食べられなくなり、意思表示ができないなど、いわゆる植物状態に進みます。
一度、胃ろうを施したら、死ぬまで誰もやめられません。家族が「もう胃ろうをやめてください」と頼んでも、途中で中止するドクターはまだ多くありません。胃ろうを中止するのは安楽死だ。安楽死は殺人だ。という人もいるからです。
長寿社会にともない、延命措置も発達しました。その一つが「人工栄養」。昔は鼻からチューブを入れたり、点滴したりしたのですが、「胃ろう」という延命措置が開発されました。
次に「腎臓の延命」。人工透析をして腎不全を防ぎます。
三つ目に「人工呼吸」。気管に穴をあけて呼吸を確保します。
超高齢社会で、どこまで延命措置を行うかを考えるにあたって、必要な観点は、ひとつは「尊厳」という観点、もうひとつは「財源」という観点です。
尊厳という観点から考えると、人工透析は本人の意思が反映されていますが、胃ろうの場合、植物状態になっていると本人の意思は反映されません。意識があるかどうかという点でも、延命措置には、議論の分かれるところです。
安楽死と尊厳死は全く違います。安楽死は、終末期が近い時に人為的に寿命を縮めること。
尊厳死、平穏死、自然死は自然に任せる、食べられなくなったら残念ながら人生は終わりという考え方です。
認知症を予防するにはどう暮らせばいいでしょうか。
まず生活習慣病になるのを避ける暮らしを実行して下さい。食べ物は青魚を食べる。納豆を食べる。野菜ジュースを飲む。運動が重要なので、一週間にトータルで150分の運動をします。ウォーキングでもゴルフでも構いません。そして社会的使命を持ち、自らの力を発揮しながら生きる。これに尽きます。
毎月開催される宝友会のアフタープレーの食事会には、長尾先生のよく五分間スピーチをしていただき、我々のゴルフのできる健康を喜び合っています。
年々スコアが悪くなって、仲間にチョコレートを取られる私をつかまえて「横尾さん、それ出来すぎですよ!」と長尾先生の言葉に自分を慰めています。 |
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