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奈良平城村にある秋篠寺は奈良朝後期、光仁天皇の勅頼により開基されたと伝えられる。
幾たびかの兵火をくぐり抜けながらも、奇跡的に焼火を免れた境内中央の荘重なたたずまいの本堂は、素朴ななかにも均整のとれた天平の和様建築としていまに伝える。
その本堂内の中央に鎮座されるのが本尊の薬師如来像。いかにも童顔で聡明そうな親しみ深い如来像である。
堂内数々の仏像おはしますなか、ひときわ目を引くのが有名な妓芸天像。本尊にそっとより添っている。幾らか首をかしげ、慈母にも似たそのやさしさは、悩みも苦しみもない豊かな天界から降りてきて、当時の人々の苦しみや願いにじっと耳を傾けてくれたに違いない。
本堂からやや離れて、平安時代に消失したとされる金堂跡がある。自然林さながらの生い繁った雑木林の中に礎石が寂しく応時を偲ばせる。
ほどなくたどりついた南門のかげに、黒御影の歌碑が一基。
あきしぬのみてらをいでてかへりみる
いこまがたけにひはおちむとす
八一
見事な万葉調の仮名書きである。あの会津八一が、魅せられて幾たびとなく奈良に遊び、数々の名歌を残した。
秋篠を訪れた八一は天平への懐古の情やみ難く、この辺りで詠んだのであろうか・・・。
「ほら!柿があんなに」とふと先を行く妻の声に、指さすかたを見上げると、土塀にもたれかかるように身の丈10メートルはあろうか柿の大木が灰色の空に秋の実をみのらせている。
暮まだき晩秋の秋篠路は静かでのどかであった。 |
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