平成24年9月8日  ロータリークラブの職業奉仕(2)

このように、「職業奉仕」はロータリーの中心的課題であり、ここに至るまで、この深遠な内容をわかり易く表現する試みと論争が繰り返されてきました。

もともと、西洋の宗教は禁欲としての「勤労」を重んぜられていました。さらに16世紀に始まるルターらによる宗教改革のなかで、ルター、カルヴァン等の指導者は「神の御心にかなう生活態度というのはこの世において職業活動に勤勉すること、すなわち不断の勤労に他ならない。」ものとしました。「職業活動は隣人愛として神が課したものであり、市民は職業人として社会に奉仕することによって、神に奉仕すべきである。」という精神を確立したのであります。
ルター以後、「職業」が神の命令の意味で、ドイツ語で「Beruf」、英語で、「vocation」,或いは「calling」 と言う言葉を使っているのも、こうした背景によるものであります。
言い換えれば、資本主義経済社会は本来その根本にプロテスタンティズムや勤勉・節約・社会への奉仕といった精神的バックボーンがあるわけであります。

しかし、職業奉仕の精神は理解できても、実際は自由主義経済社会の中での熾烈な同業事業者同士の生存競争でもあります。ロータリーでは同一クラブ内には一業種一会員を最近まで守ってきたのはそのためであります。

そして、職業奉仕を本当に理解しようとすれば、ロータリーでいう「奉仕(service)」と宗教でいう「奉仕」との違いも理解しなければいけません。
人間は本来自己中心であると教えるキリスト教の「原罪」意識も、あのインド・カルカッタでわが身を捨てて多くのハンセン氏病患者への奉仕活動を続けたマザー・テレサの奉仕活動とは異質であることの認識も必要であります。
また、経済学そのものも理解しなければなりません。アダム・スミスが説いた「神の見えざる手」の理論、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」やケインズ経済学もカール・マルクスの「資本論」も勉強しなければなりません。

ついでに言えば、19世紀半ばのカール・マルクスはアダム・スミスらの古典的経済理論を批判しながら、「資本主義社会では、商品生産・流通が社会において支配的なものとなり、労働力さえも商品化されている。労働力の余剰価値が利潤というものに転化し、企業者利得・利子・地代などの源泉となる。労働者階級は資本家階級の余剰価値の搾取に立ち向かい、生産手段を労働者階級のものとし、社会主義・共産主義へと向わなければならない。
社会的不公平は社会制度が悪い。革命によって理想社会が実現すれば、人間の悪もなくなるし、社会的不公平もすべて解決できる。」としました。
しかし直ちに移行できないから、その過渡期としてプロレタリア独裁の国家が必要とし、この論理から、東ヨーロッパ、ソ連、中国などで共産党一党独裁国家が誕生したのであります。
しかし、現実は共産党一党独裁は権力者への富の集中と腐敗を生み、社会的不公平を増長する結果となり、行き詰まりを見せているのはご承知の通りであります。

また、職業が日常人生の大部分を占めるとすれば、ギリシャ・ローマ時代からの哲学、人の生き方、自分の存在にも勉強しなければなりません。
また、職業が宗教の中で神に仕える存在という概念に至った、それ以前の世界、奴隷社会の時代、仕事が労役であった時代、旧約聖書に出てくるモーゼの時代から歴史や、あるいは中世ヨーロッパのギルド制度の中の奉仕についても勉強しなければなりません。

恐らくこのような、さまざまな歴史と実践{理論}を経てロータリーの職業奉仕概念が出来てきたのではないかと考えます。



さてこうしたプロテスタンティズムを背景とした「職業」に対する概念を「ロータリー」では

1910年、職業人の行動基準は「利己と利他との調和」であるとして、A・F・シェルドンがその内容を標語にしたのが、「He profits most who serves best.」(最もよく奉仕する者、最も多く報いられる)であります。

1911年には、私利私欲を捨ててこそ本当の奉仕だとする標語「Service not self.」
(無私の奉仕)がBFコリンズによって提案されましたが、これはあまりにも純粋であり、宗教的自己滅却を伴うものであったため、翌年1912年に新たにシェルドン一派から「Service above self.」が提唱され現在に至っているのであります。
これは自己滅却とまではいかないが、やはり「自利より奉仕」を優先するという厳しい内容となっております。これを実行するためには経営者として非常に高い境地が要求されているのであります。

何故「職業奉仕」がロータリーの中心的課題となっていったのでしょうか?
人間は本来「自己中心」(キリスト教でいう原罪思想)であります。
自由主義経済社会では、過当な競争を生み、えてして職業倫理や道徳を守らず、いや法を犯してまで金儲けに走る者が出てきます。放置すると社会は欺瞞と悪に満ち溢れます。
職業が個人的には生活の中心であり、その経済活動は社会の中心となっています。
個人の日々の活動も職業と密着しております。
ほとんどの時間も職業に費やされます。
その人その人が従事する職業は社会においては他の人よりエキスパートであります。
最も奉仕する機会も多いはずです。奉仕する内容も充実しているはずです。

こうしたことからロータリーでは先述のHe profits most who serves best. Service not self. Service above self.の哲学が生まれ、現在では超我の奉仕として、職業人に対して高い境地を要求しているのであります。

企業の最大の目的はドラッカーが唱えたように「存続すること」であります。
存続するための利益獲得と社会分業体制の中での職業を通じての奉仕という相反するように見える2要件を融合達成させることがロータリーでは求められています。
日常の職業奉仕をおろそかにして、社会奉仕や青少年奉仕などはあり得ないのではないかと考えます。

そこでロータリーの先輩たちは、毎週出席しfellowshipをはかる例会が、この高い境地を達成するための研鑽の場であるとしたのであります。
ロータリーの親睦はその高い境地を得るために組織された親睦であります。
また、ロータリアンが例会出席をやかましく言う所以もここにあるのであります。




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