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梅雨が明け、本格的な夏。今年の夏も異常気象でホントに暑いです。朝早くから庭のクマ蝉の集団が耳をツンザクようにうるさく鳴きはじめます。
先日、私がいつもお世話になっている人生の先輩・N様より宝塚歌劇のチケットをいただきました。
実は私はこの歳まで宝塚歌劇を実物では観たことがなかったのです。宝塚歌劇場の玄関までは良く外人客をお送りしていたのですが・・・。
そこでご好意に甘え、初鑑賞ということで行って参りました。
とにかく華やかな夢のような場面が次から次へとテンポ良く繰り広げられ、我を忘れてただただ見とれていました。
また歌劇の内容がかの有名な「サン・テクジュペリ」。尚更、私を幻想的の世界へ誘ってくれました。
特に主役の蘭寿とむ、蘭及はな。二人のアルゼンチンタンゴの踊りが素晴らしかった!
すっかり蘭及はなさんのファンになり、帰りに売店でブロマイドを買いたかったですが思いとどまりました。
「サン・テクジュペリ」のあらすじをパンフレッドから・・・。
1930年、サン・テックス(蘭寿とむ)はフランス貴族の家に生まれたにもかかわらず、郵便飛行士となり、小さな飛行機に乗って日々南米の空を飛び廻り、任務が終わると執筆活動を行うという、忙しい生活を送っていた。
自分の到着を待つ人々のために、サン・テックスら操縦士たちは危険に晒されながらも命がけで空を飛んでいた。
任務を終えた操縦士たちは、ブエノスアイレスにある西洋人たちが集まるクラブ・ダバリスへと繰り出していった。
そこに作家パンジャマン・クレミュに連れられて、コンスエロ(蘭及はな)がやってくる。
中米マヤ族の血を引く妖艶なコンスエロに一目で心を奪われ、その場で結婚を申し込む。
夫を亡くしたばかりのコンスエロは、当然のごとく拒否するが、サン・テックスは諦めようとはしなかった。
サン・テックスの激しい求愛に、内に秘めた情熱に火がついたコンスエロはついに結婚を承諾した。
サン・テックスは婚約指輪の代りに、書き上げたばかりの小説「夜間飛行」を贈った。
その「夜間飛行」は出版するや否や大評判となる。
そのため、サン・テックスはこれまで以上に忙しくなり、激しく愛し合い結ばれたにもかかわらず、コンスエロとの間に徐々にすれ違いが生まれ始める。
郵便飛行士の妻たちは、一度夫が飛び立てば、無事の帰還を祈りながら、待つことしかできなかった。
コンスエロだけはアフリカの神に祈りを捧げるため、アフロのリズムに乗って激しく踊り続けるのだった。
そんな彼女のもとに、サン・テックスの姉たちが押しかけてきて、アメリカ原住民の血を引く女性とサン・テックスとの結婚は認めないと言い放つ。
その時、サン・テックスの飛行機がリビアの砂漠上空で行方不明になったとの連絡が入る。
リビア砂漠に不時着したサン・テックスは生還を目指し、三日間歩き回った末に疲労のため倒れ込んでしまう。
眠ってしまったサン・テックスは、少年の声で目覚める。
その少年は砂漠には不釣合いな瀟洒な服を着ており、まるで小さな王子さまのようだった。
サンテックスが行方不明になってから四日目、彼の無事を信じ続ける操縦士仲間たちのもとに、一報が届く。
サンテックスが生還したのである。彼の帰りを最も喜んでいるコンスエロは、自分の心に素直になれず、彼のもとに駆け寄っていくことができなかった
世界情勢が目まぐるしく変わっていく中、ドイツ軍がポーランドへ武力侵攻。戦火はヨーロッパ全土へ広がっていく。
フランスがドイツに降伏。フランスに住むユダヤ人たちは身を隠し生活することを余儀なくされた。
サン・テックスはアメリカに渡ってフランスの窮状を広く知らせ、アメリカの参戦を訴えるつもりでいた。
サン・テックスの渡米を機に別れを覚悟したコンスエロも操縦士たちの言葉に後押しされアメリカに渡る。
1943年4月13日。平和にアメリカで暮らしていることに後ろめたさを感じていたサン・テックスは自由フランス軍への入隊を決意する。そしてサン・テックスはコンスエロに書き上げたばかりの原稿「星の王子さま」を手渡した。
1944年7月31日、コルシカ島の連合軍ボルゴ基地から、サン・テックスの操縦する飛行機が飛び立った。
サンテックスの飛行機は地中海上空で消息を絶ってしまう。
1945年、ついに彼の飛行機が撃墜された事実と、その詳細が正式に発表される。
「星の王子さま」の世界に描かれたサン・テックスとコンスエロとの愛。二人の愛は子供たちによって、いつまでも読み継がれていく・・・。
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