平成24年7月13日  茶の湯と「一期一会」

「一期一会(いちごいちえ)」とは茶湯に由来するあまりにも有名な言葉です。
「あなたとこうして出会っているこの時間・瞬間は、二度と巡ってはこない、たった一度きりのものです。だからこの一瞬を大切に思い、最高のもてなし、接し方をしましょう。」
「茶会に臨む際は、その機会を一生一度のものと心得て、主客とも互いに最高の接し方をしなさい。」

幕末の大老・井伊直弼の「茶湯一会集」の中に千利休の教えとして次の言葉があります。
「そもそも茶の交会は<一期一会>といいて、たとえば幾たび同じ主客と交友するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり。」
茶の湯がそうであるように、人生のすべてがそうです。年を取るにしたがって、人は一会の人を思い出しては、感慨にふけることが多くなります。


ところで、茶湯文化はいつごろから芽生えたのでしょうか?
中国では、今からおよそ2000年前の周の時代から茶を飲んでいたことが知られています。そして、日本には804年に派遣された遣唐使・空海、最澄ら留学僧によって中国からもたらされたようです。そして喫茶の風習が特に平安時代の寺院僧の間で流行していたようです。
中国では宋の代になり抹茶法が流行し、この頃日本から入宋した鎌倉時代の天台僧・成尋がもたらしたようです。のちに1191年栄西が入宋して、中国の新しい抹茶・茶法を本格的に取得し日本にひろめ、茶種ももたらしました。
こうして禅宗の中で喫茶儀礼が定められ、この禅宗茶礼がもとになって、茶の湯という日本独特の文化が室町時代に形成されていったということです。
当時の茶の湯の形式は中国(舶来)の高価な調度品を茶室に飾ったり、高価な美術品を身につけるのを得意としていました。

しかしその後、仏教の「空」の思想を受け止め、「無」の境地を大成させたのが日本の茶道です。
それは千利休(1522 − 1591)と彼の師・紹鴎(じょうおう 1503 − 1555)によって代表されます。
禅を学んだ紹鴎は空を体得し、器物よりも器物を持つ人間の心を重視し、新しい茶文化を開拓してこれを「わび茶」と呼びました。


 みわたせば 花ももみじも なかりけり うらのとまやの 秋の夕ぐれ
                              藤原定家


この短歌が「わび茶」の境地だと唱えました。
彼は華美を去り、人工を加えぬ天地の姿に茶の理想を求めました。
質素と自然を茶の作法の基準としたのでした。

利休ははじめ易庵(えきあん)という人から茶を学んだのですが、さらに詔鴎(しょうおう)を師として、その奥義を得て わび茶を大成させました。
利休は新古今集の家隆の


 花をのみ まつらん人に やまざとの 雪間(ゆきま)の草の 春を見せばや


という歌を借りて「秋の夕ぐれ」をも空じつくした風光を示しました。
見渡す限り白一色の山里の景色である。しかし冷たく降り積もった雪の間にすでに草が芽生えているではないか! と空じつくした底は決してゼロではなく、われわれの求めている真理の「花」を感じ取る。というのが利休の「わび茶のこころ」でした。
 
利休は茶の湯を禅と結びつけ、厳しさを求めたのでした。
利休は当時の豪華絢爛の茶の湯に対して、簡素なそれを求めました。
茶碗も利休は瓦職人の長次郎に焼かせました。きっちりとした幾何学的な形ではなく、掌にしっくり馴染む、ざっくりして軽い、柔らかい肌触り・・・。

そして、茶室も次第に小さく、狭くし、ついには亭主と客が相対できるだけの狭さ、二畳にまで圧縮していきました。国宝に指定されている京・山崎の侍庵がそれということです。




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