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中国の古い書物「准南子(えなんじ)」に書かれています。
昔、中国の北の方にある老翁が住んでいました。
さらに北には胡という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
或る時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
村の人はその老翁に同情しましたが、老翁はそれほど悲しんでいません。
数ヵ月後のある日、逃げ出した馬が胡の名馬を連れて帰ってきました。近所の人たちはお祝いに行くと、老人は「いやいや、このことが災いにならないともかぎらないよ」と言っていました。
しばらくすると、老人の息子がその連れてきた馬から落ちて大怪我をしてしまいました。
近所の人が慰めにいくと、その老人は「このことが幸福にならないともかぎらないよ。」
1年が経ったころ、胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。村の若者はすべて戦場に行きました。そして、その多くはその戦争で死んでしまいました。
老人の息子は戦場に行かずに済み、無事でした。
「人間(じんかん)」とは世間(せけん)という意味。
「塞翁(さいおう)」とは城塞に住んでいる老人という意味。
この世の中は福から禍へ、また禍から福へと、禍福というのは予測できないものである。との教訓です。
皆さんも漢文で習ったと思います。
ところで、皆さんは困ったとき、苦境に陥ったとき、どういう考え方で対処し、どういう方法で切り抜けられているのでしょうか?
実際こんな質問を、若い方から時々質問されることがあります。
私達の長い人生には次から次へと困った問題が起こってきます。
経営問題、人間関係、健康問題、金銭問題などさまざまなトラブル・・・
私も長い人生を生きてきて、そして50年近く会社の経営に携わり、今振り返ると、ホントに「谷あり、崖あり」の人生でした。
そして最近、やっと出てきた結論は・・・このようなトラブルに遭遇したとき、
「これは案外めでたい良い兆しなのかも知れんで!」と、一旦さがって根本的に考えることから始まります。
そして、「わが身にこんなことが起こるのは、一体、神さんは俺に何かに気づけとメッセージを送っているに違いない!それは・・・?」を考えます。
それと同時にその問題の相談に乗ってくれる有能な人を自分の人脈から捜します。
この相談できる相手というのは平素から余程、信頼関係を築き上げた、ホントに信頼できる人でなければいけません。
またその道のエキスパートでなければなりません。
日頃から自分の周りに「人脈ネットワーク」を張り巡らすことが大切です。
人脈ネットワークを張りめぐらせる「秘訣」は、平素から自分が一人でも多くの人の相談相手になれるよう自分自身を磨くことです。
自分自身を磨くこと、そして自分の得意分野を持つことです。
こうして得た人脈ネットワークは自分の財産です。この財産には税金もかかりません。
まさに「意中有人」(意ちゅう人あり)です。
そして「この世は万事塞翁が馬」(前述)ではないか! この先何が起こるかわからん!」
「俺は俺の出した結論で首の皮一枚になっても頑張るぞ!」という強い意志を持って行動することです。
ここで注意しなければならないことは、全力でやるだけのことをやって、後は「運を天に任せる」という考え方ではなかなか困難を脱却できないということです。
「神さんは不公平で、神さんは救ってくれません。いつも側に居て見守って下さってくれるのが神さんであり仏さんです。」
またお金も淋しがり屋でお金のあるところに集まっていこうとします。
そして、西洋の諺には「Bad never becomes good till something worse happens.」(悪いことは何か更に悪いことが起こらなければ良くならない。)と戒めています。
そうこうして、耐えている内に、案外好運の道が開かれるものだと思います。
まさに、「人間万事塞翁が馬」ということが多いように思います。
「まあ、赤飯でも買ってきてたべよか!」と「ゲーム感覚で行こか!」の方が案外うまく事が運ぶような気がします。
「山よりでっかい獅子は出ん。」
「この世のことはこの世でおさまる。」
最悪のことも想定することも、勿論必要です。
(例1) 歌手 中島啓江(あきえ)さんの話
戦中母は看護婦見習いとして大連にいました。帰国が決まった時、現地の人々が波止場まで見送りにきてくれたため、母は乗船を待つ列を抜け出してお礼の挨拶をしました。
そして次の便まで待つことになってしまいました。
ところが、当初乗る予定だった船が日本海で撃沈されてしまいました。
見送りに人々がいなかったら、母が律儀に挨拶しなければ、わたしはいまこの世にいません。啓江という名前は、母が感謝をこめて揚子江から一字とって命名しました。 |
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