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「われ、ついに木鶏たりえず」
第35代・名横綱・双葉山が安芸ノ海の外掛けに破れ、70連勝の夢が絶たれたとき、心の師・安岡正篤に送った伝文です。
昔、中国の周の国に紀渚子(きせいし)という闘鶏飼いの達人がいました。時の周の宣王は彼に調教訓練を頼みました。
しばらくして王は鶏舎に行きこの鶏を見て、満足そうに「ほほう、強そうな奴が出来上がってきたな。」すると紀渚子は「いやいや、まだまだ駄目でございます。空威張りばかりして客気満々、中身がございません。」
またしばらくして行ってみると鶏は王を見て、ケイケイたる眼をひからせ、羽ばたいて威嚇しようとします。闘志満々です。
王は「いよいよ強そうになってきたな。もういいのではないか」紀渚子は「いやいや、まだ、駄目でございます。他の鶏の姿を見たり、鳴き声に対して、すぐにいきりかえります。」
さらにしばらくして、「もう出来上がったか」「いやいや、まだでございます。敵を見ると、にらみつけて、いまだに気負う気配が抜けません。」
王はもうあきらめて、その鶏のことは忘れてしまっていました。ある夏の朝、紀渚子は一羽の鶏を携えて王の前に現れました。その鶏は王の前でも微動だにせず、黒々とあたかも木彫りの鶏であるかのようでした。紀渚子は「ご覧のように、もう木彫の鶏とそっくりになりました。徳が充実しました。」
王がその鶏を他の鶏と会わすと、その鶏は微動だにしません。他はことごとく戦わずして逃げ散ったといいます。
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