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この国は閉塞感に包まれている。今日も新聞は年間自殺者が14年連続で3万人を超えたと報じています。
太平洋戦争でアメリカに負けて、食料は空き地を耕して採れたイモや大根を皆で分け合い、焼け跡に建てたトタン屋根のバラック小屋で体を寄せ合い暮らしていた時の方が皆に夢があったように思います。
この小説はこうした閉塞感の日本の社会を象徴するといっても良い小説でベストセラーになったと言います。東日本大震災の4ケ月前に刊行された小説です。
あまり皆さんに読んで欲しくない、しかし読み出すと一気に読んでしまうほど、文章のテンポが良く惹かれる小説でもあります。
40歳になるヤスオという借金まみれの無職の男が、人生に自信を失い、閉鎖されたデパートビルの屋上から飛び降り自殺をしようとする。暗闇の中、金網のフェンスをよじ登る足を引っ張り自殺を止めさせた男がいた。
ヤスオはバブル経済に湧いた頃、就職しバブル崩壊で会社が傾きリストラされ、いくら面接に行っても断られ就職できずに、退職金も使い果たし、消費者金融で金を借りては足りなくなってまた借りるという破綻の道を歩んでしまった独身の男です。
「『生きていればきっといいことありますよ』とか世間の連中は判で押したように言うけれど、そんなのただのきれいごとだよ! もしそれでこの先何一ついいことなかったら一体誰が補償してくれんの? あんたは俺の自殺を止めて『ひとりの人間を救った』なんていい気になっているかも知れないけど、少なくとも俺は次の死に場所が見つかるまで生きてかなくちゃならないんだよ!『自殺は止めましょう』なんて言うのは勝手だけど、そんなことをもっともらしい顔して言ってる人間に、じゃあ俺を救ってくれるのかって言ったらそれはまた別の話ってことになるわけだろう?」
(こんなくだりが最初からあり、私は読んでいて気分が悪くなりました。)
ヤスオの自殺をやめさせた男は全日本ドナー・レシピエント協会(全ド協)の京谷高志と自己紹介した。臓器提供を受ける側に立って、橋渡しする協会であり、決してボランティアではなくビジネスとしている機関だと言う。
ヤスオも自分が大東泰雄であることを名乗った。
ヤスオはキョウヤからある薬注射で自殺して、すべての臓器を提供してくれれば約2400万円を生前にヤスオの銀行口座に振り込むといわれ、契約証にサインしました。
キョウヤは「私もこの仕事を始めたときはどこか納得のいかないものを感じていました。わずかなお金のために命を絶とうとする人もいれば、少しでも長生きするために何億というお金を惜しげもなく払う人もいる。生まれてすぐ死んでしまう子供もいれば、何にもしないで百歳まで生きる人もいる。たった数十円のワクチンや薬が買えなくて死ぬ人もいれば、若返りのために美容整形に途方もないお金を注ぎ込む人もいる。死にたくて仕方ないのに死ねない人、生きたくても生きていけない人。『生きたくても生きていけない人のことを考えれば、命を粗末にする行為はできないはずだ。』とおっしゃる方がいますが、私は正直心の中で『それは違う』と思っています。
私は大東さんになれないし、大東さんも私になれないのと一緒で、生きたい人に死にたい人の気持は分からないだろうし、死にたい人に『とにかく生きろ』『生きてりゃきっといいことがある』と言える人の気持は理解し難いはずです。『世界にはご飯がたべたくても食べられない人が大勢いる。その人たちのことを思えば食べたくないなんて贅沢なこと言えないはずだ』と親が子を諭す場面と同じです。
人間は基本的に目に見えるモノを信用する生き物だと思いますが、がんや心臓病などの第三者が目で見て判る病気が原因で死ぬのはよくて、どうして『心が砕けた』『生きる気力がなくなってしまった』という原因で自らの命を絶つことだけが非難されてしまうのか判らないと感じるようになったんです。
『俺は何があっても逃げない』と言い切っていた強い人がとんでもない状況に陥り自ら・・・・という例も少なくありません。死にたい人を楽に死なせてさしあげて、その人が残していく肉体を『生きたい』と願う人たちへつなぐ。これを当協会では『命のリサイクル』とうたっていますが・・・私はこういう考え方でいいと思います。」
そしてヤスオの銀行口座に約2400万円が振り込まれ、ヤスオの臓器移植が実行に移されていく・・・。
1984年生まれの若い俳優(小説家?)がこんなテーマを取り上げ小説にし、そして日本の若者が共感する日本の行く末は大丈夫なのかと心配になりました。
先の大震災で家族を失った悲しみを乗り越え、助け合って必死に前向きに生きていこうとしている東北の人たちの明るさと落差があり過ぎます。
もっと若者が人生を前向きに捉えたテーマの中で、若者たちが直面する苦悩や心の葛藤を真正面から描いて欲しかったと思いました。
夢も詩情もない無機質な小説ではありましたが、読んでいると惹きつけて止まない不思議な小説でもありました。
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