平成23年11月23日  人生を考える(7)

  (30) 人生の楽しみというのは苦しみを乗り越えたとき以外にない。だから苦しみというのは楽しむために存在する。苦しみのない楽しさは、その時が過ぎれば楽しみではなくなる。ところが苦しんで、それを乗り越え喜びに変えた時には、そこに感じる楽しみはいつまでも消えない。

(山田恵諦)
 



  (31) 人生には「心の健康」「体の健康」「お金の健康」が必要である。

お金の健康はまず節約の精神を徹底させることである。節約の心は一度身に付くと泥棒にもとられない。し、一生ついてまわる財産である。

節約は決してケチではなく、自分自身の身を引き締めるためにある。
 



  (32) 眞に生き甲斐のある人生の行き方とは、常に自己に与えられているマイナス面を、プラスに逆転し、反転して生きるということであろう。  



  (33) 人生というのはいつかゴールに達するというような歩き方では駄目である。

一歩、一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。

(ゲーテ)
 



  (34) 人は人生も半ばを越えると、何をしてきたのか、一体ここで何をしているのかという疑問に捕らえられるものである。人間は社会的地位や、友人や家族を衣服のように身にまとって暮らしている。それを剥ぎ取った時、自分には何が残されているのか。自分は何処から来て何処へ行くのかという深い不安に誰しも捕らえられる一瞬がある。  



  (35) 人間はたまたま何かの理由で憂鬱になるのではない。人は生きている限り、何かの目論見を持ち期待する。いつも未来へと自分を投げかけている。その架空の想定のなかに生きている。

だが今も不確かなら未来も不確かである。だから人間存在とは無から無へ架け渡された橋のような存在だと、ハイデガーは言う。そしてその本能的な自覚が愁いなのである。

だから愁うる人こそ真に生きることに気づいているともいえる。
 



  (36) 人間の能力は自分自身の能力で磨きあげることができる。しかし、品性というのは先祖が長い時間をかけて学び修養を重ね磨きあげてこないと品性は生まれない。少なくとも三代はかかるそうである。

人柄というのは形ではない。体の中からにじみ出てくるものである。人間はやはり自分の人柄・人格を磨くことが最も大切なことではなかろうか。

人は権力や財力、あるいは腕力、知力などではなく、その人の人柄によって動かされるのである。

人柄とは深い徳のあることである。思いやりにあふれ、謙虚で、礼儀正しく、公平で、正義感があり、私心にとらわれない人のことである。

こういう人にこそ人は心を動かされるのである。
 



  (37) 「和顔愛語」そのままに和やかな顔と愛しい言葉の人となれ。そして道元禅師は「正法眼蔵」の中で「愛語は愛心より起こる、愛心は慈心を種子とせり。」と言っている。

「善濡直心」(ぜんじゅじきしん)

心がよく濡れて、渇くことがない。慈愛の涙に潤い続ける。
 



  (38) 慈しみの眼でもって人に接するということが観音の本質である。人間の心の本来のあるべき様は、「やさしさ」である。やさしさが人間の生き方の根底でなければならない。私の人生の目的はやさしさである。やさしさにかけては絶対に人に負けないようにしていこうというのが私の人生のテーマであり、究極である。人から何か頼まれたら、やさしさが私の全身にはっきりと現れるようになってみたい。

観音さまをじっとながめているうちに、なんて美しいなだろうと思う。私もああいう顔になってみたいなと思う。どうすればああいう顔になれるのだろうか。どうしたらああいう美しい眼になれるのだろうか。自分の中のやさしさを煮詰めてゆくしかない。

(松原哲明)
 



  (39) われわれ人間で最も大切なことは「自己を完全に生かすよう努力をすること」と「隣人のためにつくすこと」である。

この世にはいくらでも良くすることができるものがある。些細なこと、身近なことを良くしていこう、やさしくしていこう、助け合っていこう。たった一隅の小さな明かりがやがて世の中全体を明るくしていくのである。「一灯照隅・万灯照遍」である。
 



  (40) 寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。

(ホイットマン)
 



  (41) 自分が今、ここにこうしていられるのは、思い返せばこれまでいかに多くの人々にお世話になってきたことか。親兄弟はもとより、先生や友人、上司や同僚、さまざまな人からのさまざまな教えや助けの数々。だから自分のことばかりでなく、他人のためにも尽くすということは当然の勤めである。

人のために尽くすことは苦労だけれど、逆に生き甲斐と歓喜も生まれてくる。

「人生の目的は人のために尽くすことに尽きるんだ」と信じてこれからも行動していきたい。
 



  (42) 人間にとって大切なのは、毎日が生き甲斐に富む暮らしが出来て、心が充実し、今日はこういう一日であったと、生きる意味が感じ取れる人生を送ることである。

20代の青春の坂から、私は人間の生き甲斐とは、今、これでいいのかという向上心と、今、自分は自分以外の人に対して何をしてやれるのかという奉仕の精神の二つであると考えてきた。

60歳を過ぎる頃になると人間は自分の終末のことも考え始めるが、死を見つめて生きる時、人間は真剣に生きられる。

しかし、その一方では、歳だからと、自分で自分を隠居させてしまわずに、自分を年齢から解放する明るさも求めていかなくてはならない。

少なくとも私は年齢を超えて働くことによって、改めて自分とは何かを知り、晩年の存在感を味わえそうな気がする。

(鈴木健二)
 



  (43) 青春     サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく

心の持ちようをいう

バラの面差し

紅の唇

しなやかな肢体ではなく

逞しい意志

豊かな想像力

燃える情熱をさす

青春とは人生の深い泉の

清新さをいう

青春とは怯濡を却ける勇気

安易を振り捨てる冒険心を意味する

時には二十歳の青年よりも

六十歳の人に青春がある

年を重ねただけで人は老いない

理想を失ったとき、初めて老いる



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