平成23年11月4日  安岡哲学を学ぶ(1)

戦後わが国の最も秀れた思想家といえば、誰もが東洋哲学者・漢学者の安岡正篤氏をあげるでしょう。

戦後の歴代総理大臣吉田茂、福田赳夫、大平正芳、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘氏などの哲学的思想のバックボーンになり、戦後の日本政治を誤りなきよう指導してきた偉大な人物です。
平成の元号も彼が昭和の次の元号として生前書き留めておいたものです。
彼は中国の古典をすべて読破、暗記していたようです。

私はたまたまロータリークラブに入会させていただいたときの会長が新井正明 住友生命会長(二代目松下政経塾塾長)というご縁で安岡哲学を紹介していただきました。
新井正明氏はご尊父(高校の校長先生)が安岡正篤氏と親友ということで、若き日から安岡氏を深く敬愛し、後に安岡哲学の研究グループ「関西師友協会」を設立され、安岡哲学の研究と普及に尽力されました。
というわけで、私は新井さんから「横尾さん、安岡哲学を勉強すれば会社経営を危うくすることはないはずですよ。」と安岡哲学の勉強を勧められたわけです。

このブログ欄に安岡哲学をメモしておきたいと思います。


  (1) 道徳
東洋では宇宙・人生というものは一貫して営んでおり、これがなければ宇宙・人生は成立しないという最も本質的なものを名づけて「道」と言っている。
人間は自然=天の一部であるから天人であり、天に基づいているごとく「道」に基づいているのである。
これに対し、西洋では人間を自然=天と対立させて考える。
人類の文化も要するに自然を征服し、変革することに他ならない。
しかし昨今東洋文化の研究が進み、人間は大いなる自然の中から生まれた最も進歩した生物であり、自然と人間とは決して対立したものでなく一貫したものである。
天人合一であるという考え方がだんだんされるようになってきた。
天神一体の考え方に立てば、当然人が心を持つということは天が心を持つということになる。
名高い宋代名儒・張横梁(ちょうおうりょう)という人はこれを主張して「天地のたえに心を立つ」を言っている。西洋流に言うと神のために心を立てる、すなわち人の心は神の心であるということになる。
この宇宙生成の本質であり、天地人間を貫くところの創造・変化いわゆる造化の本質原理である「道」が人間を通じて現れたものが「徳」である。
人の人たるゆえんは「道徳」を持っているということである。
そしてそれは「敬」するという心と「恥ずる」という心になって現れる。
敬する心は人間が限りなく発達を望んで、未完成なものにあきたらず より偉大なるものにあこがれるところから生まれてくる。
これは人間独特の心理である。そして敬する心が起こると必ずそこに恥ずるという心が生まれてくる。
敬を知る人は必ずよく恥を知る人であり、恥を知る人は必ずよく敬を知る人である。
そして人間は敬する心を持つと自らその敬するものに少しでも近づこうとする気持が起こってくる。
これを「参」(さんずる・まいる)といい神仏にまいるように敬するものにまいりたくなる。
これがさらに進むと、側近く仕えたくなる。いわゆる「侍」(はべる)とか「候」(さぶらう)となる。
この「敬」の心が主体となって一連の精神が発達し、そこにつくりあげられたのが「宗教」である。
人間は敬することを知ると、自ら恥ずるということを知るようになる。
そこから「つつしむ」「いましめる」「おそれる」「修める」といった心理が発達する。
これが宗教に対する道徳の本義である。従って道徳のなかに宗教があり、宗教のなかに道徳がある。




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