平成22年12月23日  キリスト教について

今年もクリスマスがやってきました。
もう一度原点に帰り、キリスト教のおさらいをしてみたいと思います。

キリストは、名をイエスといいます。”イエス” というのは、ヘブライ語の ”ヨシュア” がギリシア語化したもので、「神は救う」という意味です。また、”キリスト” という名前も、へブライ語の ”メシア” をギリシア語に訳したもので、「聖油を注がれた者」という意味を持っています。つまり、”イエス” も ”キリスト” も、ともに「救世主」「救済者」を意味しています。

キリストは、ユダヤのベツレヘムに、マリアの子として生まれました。マリアの許婚者に大工のヨセフがいたのですが、マリアは「聖霊によってみごもった」とされています。すなわち、処女懐胎であります。

キリストは幼少年時代を、ガリラヤの町ナザレで送り、家業の大工に従事していました。30歳のころに、洗礼者 = ヨハネ(彼はユダヤ教の祭司の子でしたが、ヘロデ王の不倫な結婚を非難したため斬首の刑となりました)からヨルダン川で洗礼を受け、ガリラヤ地方を中心に伝道活動をはじめました。

キリストの伝道の目的は、当時の伝統宗教であったユダヤ教が、あまりにも厳格な律法主義・形式主義に陥っている現状を鋭く批判することにありました。彼は、

「律法のために人があるのではなく、人のために律法があるのだ」

と主張しています。そうして、そのような律法主義・形式主義を乗り超えるものとして、人類に対する「神の愛」を強調しました。したがって、キリスト教は、いわば「愛の宗教」であると、その性格を特徴づけることができます。

キリスト教の主張は、もう1つあります。それは、

「神の国」が近づきつつある

という主張です。この「神の国」にあずかろうとする者は、みずから改心をし、あらゆる現世的なものを超えてこの「神の国」を信じなければならない、と、キリストは宣教しました。

このようなキリストの伝道は、ユダヤ教の正統派であるバリサイ派やサドカイ派の人々の反感を買いました。彼らにとってキリストは、神を冒涜し、ローマ帝国の支配下にあったパレスチナの地に政治的危険をもたらす人物と映っていたようです。しかし、一方では、エルサレムの民衆はキリストを、「メシア(救世主)」として歓迎していました。もっとも、民衆の歓迎は、彼をなんらかの意味での政治的指導者とみてのものであって、それが逆に、正統派のユダヤ教の危機感を煽ったとも考えられます。

その結果、キリストは、伝道生活わずか二年にして捕えられ、エルサレム門外のゴルゴタの丘の上で、十字架刑に処せられました.

けれども、キリストは、死後三日目に、自分の預言通りに死から復活したといわれています。そして、四十日間にわたり、弟子たちの前に姿を現して復活を証明し、最後にオリーブ山(エルサレムの東にあり、その西麓にゲッセマネの園があります)から弟子たちの見まもるなかを昇天したとされています。





キリストが、自分自身を「神の子」であり、「メシア(救世主)」であると認識していたかどうかは、疑問です。キリストを「神の子」であるとする信仰は、彼の死後間もなく、弟子たちのあいだで芽生えてきたものです。そして、キリスト教というのは、じつをいえば、このイエス・キリストなる存在を「神の子」と信じることからはじまるものです。

ユダヤ教徒は、キリストを「神の子」と認めてはいません。ユダヤ教徒からすれば、キリストはたんなる田舎者のラビ(先生)にすぎないのです。つまり、キリストを「人間」と見ているわけです。

また、イスラム教から見れば、キリストは、マホメットの直前に出現した、1人の「預言者」なのです。すなわち、アッラーの神(イスラム教の神はアッラーです)は、この世に多くの預言者を遣わして人類に悔い改めるようにと警告されました。「旧約聖書」(イスラム教徒も「旧約聖書」を認めています)に登場するイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルといった預言者がそれです。しかし、人類はいっこうに悔い改めようとしません。そこでアッラーは、イエス・キリストを預言者としてこの世に遣わされたのです。けれども、人類の大半は、そのキリストの預言を無視しました。そこで、本来であれば神は全人頻を殲滅(せんめつ)されてよいのですが、慈悲深いアッラーは最後にもう1度だけ人類にチャンスをあたえられました。すなわち、最後の預言者としてマホメットを選ばれ、マホメットを通して人類に「コーラン」を啓示されたのです。これがイスラム教の考え方です。ここでは、イエス・キリストは1人の預言者とされています。
したがって、イエス・キリストをどう見るかで、3つの宗教が区別されます。

ユダヤ教から見れば・・・・「ただの人間」
キリスト教から見れば・・・「神の子」
イエラム教から見れば・・・「預言者」

となるわけです。





”プロテスタント” という語は、”プロテスト” するといった意味で、旧教(カトリック教会)がキリストの精神を歪め、教会の財政が破碇すると免罪符を売り出して商売をはじめるなど、道徳的にも堕落した状態に「抗議(プロテスト)」し、それに「抵抗(プロテスト)」したことを意味します。そして、自分たちの信じる正しい教会を「公言(プロテスト)」したものです.

宗教改革は、16世紀の初頭、ドイツにおいてマルチン・ルター(1483〜1546)によってはじめられました。ついで、フランス人のカルヴァン(1509〜1564)がスイスに亡命して、ジュネーヴ教会の改革に着手しました。そのため、プロテスタント教会のうちのルター派(ルター教会、あるいはルーテル教会ともいいます)はドイツおよびスカンジナビア諸国において支配的であり、またカルヴァンの流れをくむカルヴァン派(改革派教会とも呼ばれます)は、オランダ、スイスにおいて勢力をもっています。プロテスタント教会は、この2つの派、

ルター派(ルター教会、ルーテル教会)
カルヴァン派(改革派教会)

によって代表されます。しかし、そのほかにも、さまざまな派があります。


プロテスタント教会の主張は、それぞれの派によって異なりますが、基本的な特徴を挙げると次の3つになります。

  信仰による義認・・・ただ信仰によってのみ義とされます。  
聖書原理・・・カトリック教会(旧教)では、啓示の通路は聖書と教会の2本立てであったのですが、新教では啓示の通路をただ聖書だけに限定しました。
万人祭司・・・旧教はローマ教皇を頂点とする聖職階層制をとっていますが、プロテスタント教会(新教)では万人が司祭であるという平等主義をとっています。

なお、ヨ−ロッパ大陸においての宗教改革は、以上のように信仰上の理由によって起きたものですが、イギリスにおいてはむしろ政治的・経済的な理由から改革が起こされました。すなわち、イギリス国王のへンリ−8世の離婚問題という世俗的な事件が端緒になって、16世紀半ばに英国国教会(アングリカン・チャーチ、あるいは聖公会とも呼ばれます)がカトリック教会から分離したのがそれです。しかし、こうして独立した英国国教会は、その後次第にカルヴァン主義の影響を受けるようになり、そのなかから宗教改革の徹底を主張するピューリタン諸派(長老派、会衆派、パブテスト派、クェーカー派、メノナイト派など)が出てきました。このピューリタン(清教徒と呼ばれています)が、アメリカ建国の歴史に一役買ったことはご承知の通りです。





いっぽう、カトリック教会(旧教)は、ローマ教会とも呼ばれています。明治・大正期の日本では、天主公教会と呼ばれていました。このカトリック教会は、教皇(ローマ法王)をキリストの代理者と信じ、そのもとに集まった信徒の共同体であります。”カトリック” といった語は、もともとギリシア語で「普遍的」といった意味です。

なお、旧教には、カトリック教会のほかに東方正教会があります。
これは11世紀に、主として聖像(立体像)に関する論争により、ローマ教会(西方教会と呼ばれます)から分離したものです。東方正教会では、偶像崇拝の誤解を避けるために、画像(イコン)は用いますが聖像を刻んでこれを礼拝するようなことはしません。
東方正教会には、現在14の自立教会が属していますが、そのうちギリシア国内にあるギリシア正教会とモスクワに中心をおくロシア正教会が大きなものです。日本には、ロシア正教会の日本ハリストス正教会だけが伝えられています。 

以上の、旧教に属するカトリック教会(ローマ教会)と東方正数会、それに新教であるプロテスタント教会を加えると、キリス卜教の3大主流になります。





キリスト教伝来
キリス卜教の日本への伝来は、1549年夏、イエズス会士のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリシタン宗門の布教をはじめたのが最初です。

イエズス会(ジェスイット派)というのは、当時、ヨーロッパでは宗教改革の勢力が強く、ローマ法王の権威が凋落の傾向にあったのを憂えたイグナシウス・ロヨラが、学生たちによびかけて結成した信仰グループです。彼らは、法王への絶対服従と伝道への献身を誓いあっていました。ザビエルはこのイエズス会士であって、ローマ法王によって選ばれて、宜教のためにインドのゴアに来たのです。そして、インドからマラッカ、モルッカ諸島へと足を伸ばし、キリスト教の宣教のために活躍していました。

1547年夏、ザビエルはマラッカで、アンジロー(ヤジローとも伝えられる)という名の日本人に出会います。ザビエルはこのアンジローを通して、高い文化をもった日本という国の存在を知り、日本への布教を決意します。そして1549年に、アンジロ一の案内で、ザビエルは鹿児島にやって来ました。

ザビエルを迎えた日本人の反応は、といいますと、鹿児島の領主 = 島津貴久はザビエルを歓迎していますが、彼の関心はキリスト教の教えよりもポルトガル船による南蛮貿易にあったようです。島津貴久は、ザビエルに布教を許したのですが、その代償ともいうべきポルトガルト船がいっこうにやって来ないのに失望して、厄介払いでもするようにザビエルを京都に行かせました。ザビエルの方も、天皇か将軍より日本全土の布教の許可を得たいと考えていましたから、喜んで京都に行きます。

しかし、京都においてザビエルは冷たくあしらわれました。記録によれば、彼は献上品を持っていなかったからだといわれます。また、当時、仏教学のメッカともいうべき比叡山の掟の故に実現しませんでした。
そんなわけでザビエルは平戸に戻り、そこでたくさんの献上品を仕入れて、西国・周防の山口の領主=大内義降に近づきます。そして、山口で布教を許され、市内に日本最初のキリスト教会=大道寺をつくります。もっとも、一般の人々のザビエル評は、 

「天竺の坊主が新しい仏教の布施に来た。」

といった程度のものであったようです。

ザビエルによってはじめられたキリシタンの布教は、その後も多くの宜教師によってすすめられ、とくに西日本においては多くの信者を獲得し、16世紀の半ばから17世紀にかけては全盛期が現出しました。けれども、その後、豊臣秀吉や徳川幕府の禁教令によって、キリシタンは日本の土地から消滅してしまいました(一部に隠れキリシタンはいたのですが微々たる勢力であったのです)。

そして、再び日本にキリスト教が入るのは、幕末から明治になってのことです.日本の政府が正式にキリスト教の禁止を解いたのは、明治6年(1873)でありました。





キリスト教の神(ゴッド)は、原理的には超越神です。宇宙の外に超越的に存在しています。いや、この宇宙そのものが、神によって創造されたのです。キリスト教の神はそういう神なのです。

そこで、キリスト教では、神の基本的特徴を次のように見ています。

  1  実在者・・・神は実在者です。「わたしは、有って有る者」(「エジプト記」第3章)と、神みずからがモーゼに言われています。  
2  創造者・・・「はじめに神は天と地とを創造された」と、「創世記」の冒頭に述べられています。したがって神は、天と地を超越した存在なのです。
3  霊・・・「神は霊である」(「ヨハネによる福音書」第4章)。
4  人格(ペルソナ)・・・神は人格的存在です。人格的存在とは、意志と計画をもった存在者なのです。
5  義・・・神は神の義を示すために、イエス・キリストを供え物にされたのです(「ローマ人への手紙」第3章)。
6  愛・・・「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から生まれたものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない。
神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである」(「ヨハネの第1の手紙」第4章)。このように、神の本質は愛(アカペー)なのです。

以上のように、神は超越的存在です。したがって、神と人間とのあいだには、大きな断絶があります。この断絶を埋めてくれるのが、神の子であるイエス・キリストです。神はその本質である愛によって、神の子のキリストをわたしたちのもとに送られたのです。わたしたちは、それ故、イエス・キリストを通じて神に結ばれているのです。

キリスト教の神が「愛の神」であるのに対して、仏教の仏は「真理の仏」です。また、キリスト教では、神と人間のあいだに大きな断絶があり、その断絶を埋めるのにイエス・キリストがいると考えられています。しかし、仏教においては仏と人間のあいだに断絶はありません。仏と人間のあいだには無限の距離があるのですが、人間は仏に向かって歩みつづけることができます。仏教は、人間が仏になるための教えであります。





聖書について
キリス卜教における聖書は旧約聖書の創世記から始まり、新約聖書の黙示録に終わる聖典で、旧約聖書は39編、新約聖書は27編、合計66編で構成されています。
「初めに神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(創世記第1章)
聖書のスタートは、旧約聖書創世記のこの言葉から始まっています。
一方、黙示録では、以下の言葉があります。
「この書の予言のことばは封じてはいけない。時が近づいているからである。不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えてくる。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(新約聖書 ヨハネの黙示録第22章)
旧約聖書のスタートは、この世を創造し、さらに植物から始まって、あらゆる生き物を創り、そして人類を創造していく壮大なドラマから始まっています。そして人類が栄えていくとともに、人が神に背いていく有様が描かれています。
神が人間と結んだ契約(旧約)、すなわち十戒をはじめとする律法を、人間が一方的に背いていく姿を描いたものが旧約聖書であります。
これに対して新約聖書では、これ程までに罪を犯しつづける罪深い人間を、神が手を差し伸べて救い出していく過程が描かれています。

イエスが人間の罪をあがなうために、十字架で死んだことと、そして3日目に、死んだイエスがよみがえって復活をしたこと。これら二つのことを信じることによって、人は神に義とされ、罪を許され、救われます。
これが新しい神と人間との契約であり、キリスト教の信仰であります。
そして新約聖書では、イエス・キリストの再臨が述べられています。
人間の始租とされるアダムが神から禁じられていた知恵の実を食することによって、初めて罪を犯したために、神から離反してしまった人間がイエス・キリストが再臨することによって赦され、再び人間が全面的に和合することができるとされています。
すなわち、エデンの園における神と人間の関係にもどることができるとされています。





ところで、徳島県西部にある四国で二番目に高い山、「剣山」をご存知でしょうか。この剣山のふもとでは、この地域にイエス・キリストが逃げ込んだという言い伝えがあるようです(とても信じてはいませんが・・・)。その一党が日本名で来栖(くるす)という名前を名乗り、現在もこの地域には不思議にもその苗字が多いとか。また「かごめ、かごめ、籠のなかの鳥は・・・」と歌われる民童謡はこの地域から全国に広まり、この旋律はイスラエルにも残っているという話です。また篭目のマークはそのままイスラエルの国旗の模様となっているそうです。
イエス・キリス卜が隠れたと伝えられる洞穴もあると聞きましたが、ホントでしょうか?
一度この神秘的な秘境の山、剣山を訪れたいと思っています。



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