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6月14日の産経新聞の正論の欄に筑波大学名誉教授 村上和雄さんの随筆文が掲載されていました。改めて紹介させていただきます。
以前から何度も取り上げられ、この件については約9年前 私もロータリークラブの会長の時間にも紹介させていただきました。
「いまから120年前にさかのぼる。明治23(1890)年、オスマン帝国の軍艦エルトウールル号が初来日し、明治天皇に拝謁後、帰途についたとき、和歌山県串本町の大島沖で台風のため座礁沈没した。その際、大島の島民総出で必死の救助活動が行われた。この日本人の献身的救助活動は,トルコの小学校の教科書にも記載されており、今でも広く国民の間で知られている。そして生存したトルコ人を、軍艦でイスタンブールまで送り届けた。トルコ人の救出から95年もたった1985年、イラン・イラク戦争中に、イラクの当時のフセイン大統領が『今から48時間後にイラクの上空を飛ぶ飛行機は民間機でも撃墜する』という声明を出した。当時の日本政府は、急な事態に対応が遅れた。その時、時間ぎりぎりにトルコの民間機が、テヘランに取り残された日本人215名全員を救出してくれた。外務省が問い合わせたところ、トルコ政府は『私たちはエルトウールル号のことを忘れていない。だから日本人が困っているのを知って助けに行きました。』と答えたという。私はトルコと日本の実にすばらしい友情物語を知り感動した。トルコ人は今でも日本人が好きで親近感を持って接してくれている。」
こうしたことで私に思い出させる出来事があります。
9年前の平成13年1月末の大雪の前の晩の東京での出来事。山手線の新大久保駅でプラットフォームから転落した男性を救助しようとして、二人の男性が線路に飛び降り、助けようとしたところへ電車が進入し、三人とも電車にはねられて死亡した事件であります。
なんともやりきれない胸の締め付けられる思いがしたのを覚えています。二人のうち一人は関根史郎さんという47歳のカメラマンで、横浜でお母さんと二人暮らしで、父親が三年前に亡くなり、足の不自由なお母さんを助けながら暮らしている孝行息子だったそうです。もう一人は李秀賢さんといって26歳の韓国からの留学生でありました。
二人とも日頃から正義感が強く、他人が困っていると放っておけない、勇気のある男性であったといいます。
後に新大久保駅に二人の顕彰碑が建てられたとのことですが、韓国の人々はこの事件をよく覚えています。日本人は忘れかけています。風化させないで永く語り継がれていって欲しいものです。韓国人と日本人の距離はもっと近くなるのではないかと思います。
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