平成22年5月30日  象の背中

いささか古い話ですが平成20年5月26日、ロータリークラプで私に卓話の順番がまわってきました。そのお話しを掲載させていただきます。
演題は「象の背中」としまLた。





私はちょうど2年半前(平成17年10月15日)、頭の出血で倒れて、大手術を受けました。
自宅で前日から少し気分が悪いので風邪かな。と思いペッドで寝ていました。その日
は家内が旅行中で私一人でした。翌日の午後になって、猛烈な吐き気に襲われ、嘔吐をくりかえしました。そのうちに手足が完全にしぴれてきました。イモ虫のようになり体を動かすことができず、すぐ目の前にある電話にたどりつくだけで1時間ぐらいもかかりました。やっと娘たちに連絡でき、救急車で病院に運ばれまLた。

救急車に運ばれながら、私は「これはただ事ではないぞ。ああ、自分の人生もこれまでか? あっけないなあ!」と思いながら意識が遠のいていきました。
手遅れだったらしく、手術は8時間半もかかりました。幸いなことに関西労災病院の
先生、看護婦さんの懸命の手術が成功し、命が助かりました。

しかし、退院してからも、手術の後遺症からか特に午後になると身の置き所がないほどの体が抜けたような、言葉で表現できないようなしんどさがつきまといました。
「ひたすらペッドで目を閉じて、回復を待つ」、という日々を繰り返しました。
何回も深夜に、再発していないかと関西労災病院に駆け込んだりもしました。

わたしはこの病気の回復過程でも、あまりのしんどさに、「自分の人生も実質上
は終わった。」と何度も思うことがありました。
それと同時に「しかし、このままでは、自分の人生は一体何だったのか? ただ忙し
く上滑りにその日その日追いかけてきただけやないか! いかにも、中途半端な人生やないか。」と思いました。
また一方、「もし健康を回復できたら、残りの人生を悔いが残らない、自分が納得できるような人生を送ろう・・・」とも思いました。

ローマ時代の哲学者セネカは
「君たちは永久に生きられるように生きている。充ち溢れる清水でも使うように時間を浪費している。そして生きることをやめねばならない土壇場になってから、生きることを始めようとする。時すでに遅しではないか。」
と言っています。

人はある時期が来ると、ある年齢になると、あるいは病気など何かのキッカケで  ”生きる" ということの意味を真剣に考えるようになると言います。
私もまさに「日常性」に埋没して、本当に生きるということを忘れて、怠惰な日々を追いかけてきたなあと思いました。

病気を契機に、自分の人生を考え直してみよう。少なくとも今までとは違った体験をしながら、人生というものを模索したい。
人生を歩んでみたい。
もっと色んな、新しいことを知りたい。追いかけてみたい。本も読みたい。違った勉強もしたい。体験もしたい。
いい音楽も聞きたい。
歴史も知りたい。
感動したい。
と思っております。

勿論、人様の役に立ちたい。特に弱い立場の人を助けたいという、私の子供の頃からの初心はこうした中で貫き通したい。
そして自分で納得する人生で終わりたい。
現在はそんなことを思いながらも、なお時間を浪費して暮らしております。

ところで、私が丁度そんなことを思い始めたころ、平成18年1月から産経新聞で、作詞家である、秋元康さんの「象の背中」という連載小説が始まりました。後に単行本でベストセラーにもなり、また映画化されましたので記憶されている方も多いと思います。
今日はこの「象の背中」の粗筋を、今一度迫って、卓話の務めを果たしたいと思います。何しろ長編小説をわずか20分か30分位に濃縮してしまいますので、語が飛び飛びになりますことをお許し下さい。





或る中堅のサラリーマン部長が、最近どうも背中が痛い。
友人と飲んでいる席でフト勧められ、何げなく病院のPET検査を受けに行きました。 そして検査結果を聞きに行きました。そうしたら、肺に悪性ガンが発見されたので
す。もうかなり進行していて、しかもリンパにも転移してしまっている。お医者さんからあなたの命は、あと半年が目安ではないかと宣告されてしまいました。というところから物語りが始まります。

この主人公・藤山幸弘という48歳の男ですが、彼は「余命半年」と宣告されて、大変なショックを受けて病院を出まLた。
自宅にまっすぐ、飛んで帰る気持にもなれず、会社に出社する気にもなれず、とりあえず今からどこに行けば気が落ち着くのか?考えます。
考えたあげく、結局は人がいっばいいる雑踏の中に身を置くことが一番気が落ち着く
のではないかと考えました。そうして雑踏をさまよい歩いた末、ホテルのロビーで、ぽんやり時間をつぶしていました。
朝刊を見ると中国の反日デモの記事が大きく取り上げらていました。そんな新聞のトップニュースにも、もう関心がなくなっていました。
「もうすぐ終わる自分の人生」。それ以上に衝撃的なトップニュースがあるわけがありませんでした。
宣告されるまでは、毎日が忙しく人生で孤独など感じたことのない男でした。はじめて激しい孤独感と絶望感に陥りまLた。

彼の家族は、22年間連れ添った4歳年下の美和子という奥さんと20歳になるラグビー部の大学生の息子・俊介とチアガール活動の高校生の娘・はるかとの四人家族でした。
その日、自宅に帰ると、「お父さん検査結果どうだった?」との奥さん・美和子の問いに「うん」「悪いとこなかった。」と答えてしまいました。

もう今まで随分女房の美和子にうそもついてきた。考えてみると美和子にはいろいろ迷惑もかけてきている。いずれ判ることだが、この際、自分の人生の最後の場面で、最大のうそを女房について、せめて心配させる期間を少しでも短くさせたいと思ったからです。

そして、これもいろいろ悩んだ末、病院のお医者さんには「どうせ助からないのなら、放射線や坑ガン割で延命治寮をしないで下さい。」と頑なに延命治療を拒否しました。
「そんなことで体を痛め付けて、苦しい思いをして、半年や一年延命したところで何になる?」との思いからです。それよりも、「私は残された半年の閏にやりたいことがあるので、先生、痛みだけは抑えて下さい。」とお医者さんに頼みました。

余命半年と告知されてから、このことを誰に話すか?誰とこの絶望感を共有するか?彼はこの残酷な話相手に自分の息子・俊介を選びました。
大学生のラグビー部である息子・俊介に、「男同志だ。お前だけには話しておく。」と病気の内容を告白しました。「これからもお父さんの病気の話相手になってくれ。」と頼みました。息子はぴっくりして怯えました。
怯える息子に言いました。「お前はラグビー部の選手だ。しかしお前は所姓グランドドとルールがあってこそ、男敢な男かも知れん。甘えたらいかんぞ。社会にはグランドもルールもないんだ。本人が試合をする意志があろうがなかろうが、突然誰かがタックルしてくるんだ。それが人生なんだ。」と彼は息子に言い聞かせました。

人はみんな死の直前、走馬灯のように自分の人生を振り返るといいます。それならば、走馬灯ではなく、もっとゆっくりと、残された半年間で、自分の全人生を振り返ってみたいと彼は思いました。
あのとき本当はどうだったんだろう?人生のビデオテープを巻き戻しながら検証し、納得してから死にたいと思いました。

まず最初、彼のした事は、私立探偵を使って、どうしても忘れられなかった中学生時代の片思いの初恋の人を捜し出しました。
そして彼女に、同窓会の幹事会があるからとウソの文面を書いて彼女を呼び出しました。
彼女はやって来ました。
そして、「中学時代、自分はあなたが好きだったけど、チャンスはあったけれど、どうしても言うことが出来ませんでした。ただもう一度お自にかかりたかった。そしてそれを言いたかっただけです。わたしはガンでもう半年の命となったからです。」と告白しました。

彼女は「藤山さん、ありがとう。言って戴いて、私・・・とてもうれしいです。うちの娘には “お母さんはいっも男運がないんだから!" とずっと言われていますから・・・」。と答えました。その言葉と寂しそうな彼女の目で、彼女の人生も決して順風満帆でないことが察せられました。しかし、もうこれ以上彼女のことは聞くまい。今更聞いても仕方がない。と思いました。彼女と握手をして永遠の別れを告げました。これで彼は長年の胸のつかえがひとつとれました。

このように彼は次々と人生でもう一度再会しておきたい、という人に会いました。
そして、遺書代わりに一人一人に別れを告げて行くという作業に精を出しました。

一方、この主人公・彼・藤山幸弘には、付き合っている「彼女」、コピーライターの青木悦子という不倫相手がいました。彼はサラリーマンですから勿論、彼女に金銭的に大した援助もしていません。彼女にも末期ガンであることを告白します。

彼は彼女・悦子に「君に今まで、何もしてやれなかった。もうすぐ死んでいくのだから、親の遺産の一部を兄貴からもらって、いくばくかのお金を君に予め渡しておきたい。」と申し出ます。
これに対して、彼女は「お金は結構です。自分でなんとか自立してやって行けますから。」とお金の受け取りを辞退します。
そして・・・「その代わりあなたが死んだらあなたの遭骨の一部を下さい。わたしはあなたの骨を食べることであなたと一体になれるような気がするんです。」と彼の骨を要求します。
そこで彼は悩んだあげく兄貴にこのことを相談します。
「隠していたことだが,実は自分には不倫の彼女がいる。その彼女に、「自分が死んだら俺の骨の一部を渡してもらえないか?」と兄貴に頼みます。兄貴はぴっくりしますが、最後には「わかった。何とかしよう。しかし美和子さんには黙っとけよ。」と言って結局この願いを受けいれてくれます。

やがて、痛みや苦しみを緩和するために、彼は千葉の海岸べりにあるホスピスに入ることとなります。
ホスピスでの人院生活は彼が想像していた以上に快適でした。まず、痛みを和らげてくれることに専念してくれます。そして外泊も、食べ物も全く自由です。自分の好きなようにやらせてくれます。快適に過ごせることを積極的にサボートすることに重点を置いているからです。また働くスタッフも無理に明るく振る舞ったりしません。病気や死ぬことなど、すべてを受け入れようとしている姿勢が却って彼に安心感を与えてくれました。

ホスピスでは色々な患者さんや見舞い客に彼は会います。

ある日、石川という学生時代の友人が見舞いにやってきました。石川は「こんなことになって、お前に何をしてやればいいのか。まるで思い浮かばないんだ。」「俺、その時一緒に居てやるよ」「俺は必ず駆けつけて看取ってやるよ。それだったらこわくないだろう?」この言葉は余命いくばくもない彼にとって本当に有り難い言葉だと思いました。





ここでちょっと小説から話がそれますが、
私も学生時代最も親しくしていたN君という一人の友人がおりました。学生時代、いつも彼とは行勤をともにする間柄でした。
一方では彼とは、ひとりの美人のガールフレンドを取り合いする間柄でもありました。
卒業後はN君とは彼が東京の会社に就職したこともあり、年賀状のやりとりはしていま
したが、35年位はプッツリ交際が途絶えていました。

5〜6年前のことですが、その昔のガールフレンドから突然私に電話が入りました。「横尾さん!お久しぶりです。Nさんを覚えていますか? Nさんは胃ガンで、もう全身に転移してしまって、余命1ケ月ぐらいになっているそうです。今ホスピスに入っています。ホスピスのケアーする人が「あなたは人生の最後を迎えて、会いたい人がいるのなら、今のうちに会っておきなさい。誰に会いたいですか?」と尋ねたそうです。そうしたらNさんはねえ、真っ先に『横尾君に合いたい』と言ったそうです。」お忙しいでしょうが、会ってあげてくれませんか?」と彼女に言われました。
私は早速、N君を東京の聖路加国際病院のホスピスに訪ねました。私はN君の弱々しくなってしまった手を握りながら、「おい、お前、思ったより元気やないか。」「N、病気に負けたらあかん!絶対にあきらめるな!最近はメシマコプでガンが直った奴もいっぱい居るぞ! 俺が取り寄せて送るから頑張れ!」と激励しました。その時はN君も「君に会って、ちょっと元気がでてきたわ!」といって、ペッドの手摺りにつかまって弱々しく起きあがろうとしていました。
私もN君の手を握りながら、かける言葉も途切れ途切れで、時間だけが経っていきました。
そのうちにこちらがクタクタに疲れてきました。「おい一旦帰るわ!また来るわ。」といって別れを告げました。そしてメシマコプを取り寄せ送りましたが、それから2週間後には彼の訃報を聞くことになりました。

私はこんな見舞いの仕方をしたことを、この小説を読んで思い出し、後悔しまし
た。もっと患者のN君の立場に立って、安らかに死を迎えられるよう「昔話」や「思い出話」に花を咲かせるペきでありました。
そして、「おい、お前が死ぬときは俺がかけつけて見送ったる。人間もいつかは死ぬ。ちょっと、早もいか遅いかだけの話しや。心配するな。」というようなもっと違った声のかけかたがあったのではないか。N君もそれを望んで、私に会いたいと言ったのではないかと後悔しました。

小説に戻します。





ところで、彼は、不倫相手の青木悦子に、今一度会いたくなり、彼女をホスピスに呼びます。彼女は堂々とチョコレートを持ってホスピスにやってきます。そして「実はずっと付き合ってる彼女だ。」、その場に居る奥さんの美和子に紹介し、告白します。
無論、奥さんの美和子は気を悪くして、席を立って部屋から出てしまいます。

それ以降、奥さんとの間に険悪で重苦い日々が流れます。奥さんは口をききません。彼の余命は2ケ月になっています。人生の最初で最後で、生涯ただ一人の、女房との関係がぎくしゃくしてしまいました。

ある日、彼は奥さんと海岸へ散歩に出るキッカケが出来ました。
「ボクが悪かった。しかし、ポクは何もかも君に正直で死にたかった。これだけ謝っても、しかもボクが死ぬ直前になっても、それでもキミは許してくれないのか?」「もうボクには時間がないんだ。」と彼は奥さんに頼みます。

散歩している二人の間にまた、沈黙が流れます。
突然奥さんの美和子は、彼に「一言だけ言ってもいい?」と言って.目に涙をためて、彼を見つめます。
そして、いきなり、「バカッ」と言って彼にしがみついてきました。彼は強く抱き締めました。
そのとき、皺は増えたけれど、長年連れ添った妻の顔というのはこんなに美しいのかと心から思いました。





男は年齢とともに、だんだん、年取った自分の妻が一番美しいと思うようになるのでしょう。私も北新地にも足が遠のき、若い美人にもすっかり興味がなくなってきました。
やっぱり女房の目尻のしわが美しく、可愛く思える年齢になってしまいました。
「老いてまた可愛くなったわが女房」です。

小説に戻りますが、





それからは家族四人がホスピスにフトンを持ち込んで、家族全員で寝泊まりして残された時間を過ごします。
やがて彼の病状がだんだん悪くなっていきます。そして最後の時を迎えます。
意識朦朧とするなかで、子供たちの「お父さん!」という声が聞こえます。
奥さんの美和子が「あなた!お疲れさま!」と耳元で言ってくれました。この言葉を聞いて、「ああ、もうこれで自分の人生に思い残すことはない。」と彼は思いました。
私も、結局は、最後は、妻から、耳元で、「お疲れさま!」と言われるのが最高かな? と思いました。


ご静聴有り難うございました。


目次へ戻る





E-Mail
info@fuyol.co.jp


ホーム 在来工法プレカット 金物工法プレカット 特殊加工プレカット 等 耐震門型フレーム 等
地球温暖化と木材 健康と木造住宅 会社情報 お勧めリンク 横尾会長の天地有情
当社プレカットによる施工例写真  社員のブログ天国