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広島のある高校であった出来事です。その高校にはA子さんといって小児マヒで足が不自由な上、言語障害もあるというハンディを背負った女子生徒がいました。でもその子の母親はあえて普通校に通わせていたのです。
夏の水泳大会の選手選びの時です。四人の選手のうち三人まではすんなり決まり、あと一人がなかなか決まらない。そうこうするうち、クラスのいじめグループが「A子に出てもらおう」と言い出したのです。
「そうや、A子に」という同調の声。彼女は唖然として何も言えなかったそうです。
泣きたいのを必死にこらえて家に帰り、さっそく母親にその日のことを訴えました。でも母親から返って来たのは「どうして ”私がやります” と言えなかったの」という言葉でした。彼女は、もう私の気持ちをわかってくれる人はだれもいない、と、がっかりして部屋に入ってしまいました。
でも、数時間後にそっとドアを聞けてみると、目に入ってきたのは仏壇に向かって涙を流しながら、わが子のことを必死で祈っている母の姿でした。その後ろ姿を見ながら、彼女は自分が自分に負けていることに気づいたのです。
そして、とうとうその水泳大会の日がやってきました。彼女は水着姿の自分が恥ずかしくてなりません。一人、二人と泳ぎ、とうとう彼女の番がきました。でも泳ぐなんてとても。一メートル進むのに二分もかかってしまうのです.まわりからはワァワァという奇声が聞こえてきます。でもやっとプールの中程まで進んだ、その時です。
男の人が背広を着たままザプンとプールに飛び込んだのです。そして、彼女のそばに行って、「がんばるんだ.しっかりやるんだ。あと少しだ」と励ましながら彼女と一緒に進み出しました。その背広の人はなんとその高校の校長先生だったのです。
一瞬にして奇声も笑い声も消えました。みんなが声を出して彼女の応援を始めたのです。
長い時間をかけて、彼女が二十五メートル泳ぎ終わった時には、友達も、先生も、そしていじめっ子グループもみんな泣いていました。
(読売新聞より)
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