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紀元前2世紀から紀元後2世紀あたりの古代インドで「四住期」という考え方が生まれたそうです。人生を四つに区切って過ごす考え方です。
即ち、学生期・家住期・林住期・遊行期です。
現代では。寿命が伸びたので、25年刻みで考えなければならないでしょう。
つまり最初の25年「学生期」で心身ともに成長し、25歳から50歳まで「家住期」では必死で働いて家族を養い、子供を育てる。国家や社会に貢献する。そしていよいよ現代の人間で最も大切な人生のクライマックスが「林住期」だと五木さんは説いておられます。
人間は国家や社会制度に貢献するためだけに生まれたのではない。子供や妻や家庭に奉仕するためだけに世に出たのでもない。たしかにそれは社会に暮らす者の貴い義務ではある。そして義務は誠実に果たさなければならない。その義務を「家住期」に果たし終えた人間は、まさに自己本来の人生に向き合うべきである。
本来の自己を生かす。
自分を見つめる。
心のなかで求めていた生き方をする。
他人や組織のためではなく、ただ自分のために残された時間と日々を過ごす。
「林住期」とはまた、男と女の関係が新しく再生される季節だと思う。
男女の愛から人間的な理解へ。相手を理解されることから生まれる友情は、自由な人間関係に成長する。
愛よりも理解。
愛情よりも友情。
相手を見つめ、全人間的にそれを理解し受け入れる。
「学生期」のあいだは恋愛が中心だ。
「家住期」になれば夫婦の愛を育む。
そして「林住期」には恋人でも、夫でもない一個の人間として相手と向き合う。
「家住期」を終え、「林住期」を迎えるとき、人は一度それまでの生活を解体することも大事ではないか。
ロシアの大作家トルストイが晩年に家出して旅先で死んだことは印象深い。
親鸞の妻、恵信尼(えしんに)も晩年、京都に老いた親鸞を残して越後に離れ住んでいる。親鸞と恵信尼はたがいに無二の尊い存在として相手を菩薩のように敬愛してやまなかった夫婦だ。
と、五木寛之さんは述べておられます。
短い人生、有意義に過したいものです。
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