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1979年10月29日(月曜日)私は41歳の誕生日を迎えました。
その日の昼、私は推薦者の橋口新太郎会員に伴われて初めて大阪西ロータリークラブの例会にゲスト参加しました。何が何だか良くわからないまま、翌週より正式に入会を許されることになりました。当時の会長は新井正明氏でした。
毎週の例会やフォーラム、ミーティングなどでの先輩会員のお話を聴いて私は驚きました。木材相場や外為相場や信用不安などの話題に終始していた業界人や商社の方としか接触のなかった私にとって、とにかくロータリーの方のお話はどれも新鮮なものばかりでした。
入会間もない頃、山口吾郎会員の卓話で、「私は建築を生業としている。お施主さんによって私の会社は生かされている。お施主さんが繁栄されてはじめて、私の会社は繁栄できると思っている。私はお施主さんの繁栄を願って、毎朝早くお仏壇で手を合わせ、般若心経を写経している。そしてその写経を基礎の中に埋め込んでいる」という話を聞きました。自分が一生をかけていく職業というのは、こういうものだと思い知らされたのです。
数ある尊敬する当クラブ先輩の中で、私はお二人の先輩会員のことを記したいと思います。
一人は私が入会した当時の会長、住友生命保険相互会社会長(当時)・新井正明会員です。新井さんはノモンハン事件で片足を切断されながらも戦後、住友生命を一流の生命保険会社に育て上げられ、そして幅広い財界活動もされていました。その傍ら関西師友協会を設立され、お父上と親交厚かった東洋思想者・安岡正篤先生の教えの研究とその普及に尽力されていました。勿論熱心なロータリアンであり、出席免除やご高齢そしてお体の不自由さなど関係なく、ホームクラブ欠席の時は大阪淀川ロータリークラブなどに必ずメーキャップされていました。そこでもよく隣にすわらせていただいてお話を伺う機会も得られました。新井さんのお話は卓話ではノモンハン事件で生死をさまよわれた話などよくされておられましたが、一方安岡先生の哲学や中国古典から引用され、人間が生きてゆく上で大切な心のありようや、人間の本質や原点に触れる話も我々に感慨を与えました。
ある日、「横尾君ぜひ私がかかわっている関西師友協会に入会しませんか。安岡哲学を勉強することで事業経営についても随分参考になりますよ」とお誘いを受け、新井さんが推薦者となって入会させていただきました。講演会のほかに、毎月送られてくる雑誌「関西師友」には、安岡哲学が満載、勿論会長である新井さんの講演録や論文、挨拶文も毎号掲載されており、私の人生の道標となりました。
もう一人は大日本塗料株式会社社長(当時)・池田悦治会員です。大僧正然とした風貌から、発せられる言葉は哲学的であり、人間としての根幹に触れるものばかりで、私を魅了しました。私は「池田さんの話はどこか違う」と思い必死でメモを取りました。ロータリーの卓話やフォーラム、ミーティング等でお話しされる内容は一貫してロータリー精神を「人間愛」という観点からわれわれに説いて聴かせました。
一度、池田さんにお願いして有志約30名ばかりからなる集まり「遊心会」という勉強会に来ていただき、1時間にわたり《池田哲学》をじっくり講演していただいたことがあります。講演の後もコーヒーを飲みながらの懇談の場を持ちました。そのお話は尽きることのない泉のよう湧き出でて、夜の更けるのを忘れさせたものです。
池田語録の一部を紹介すると、「奉仕は人を愛することである」「雑草の生えない大地には木は育たない。死んだ大地である。雑談のない会合は死んだ会合である。雑談こそが人間社会の機微である」「ロータリーは大いに雑談をする機会を持たなければならない」「ロータリーでは規律や規則だけをしゃべってはいけないと思う。あなた方はロータリーの精神やロータリーの心を話しなさい」「ロータリーの目的は共存である。ロータリーの実践はまず例会はの出席である」「人間は何かをするのであって、何かになるんじゃない」また近代哲学者ホッファーやシラーの言葉を引用されながら、「遊びの哲学」に触れられ、「遊びこそが創造を生むのである」「人間のあらゆる状態のうちで遊びこそが人間を完全なものにし、また人間の二重の本性である感性と理性を一度に開花されるものである」「人間が遊びを忘れ、遊びの精神を失うことは人間喪失を意味する」等々。
いずれにしても、こうした「心の師」ともいえる大先輩の謦咳に接することができたことを大変幸せに思っています。
私は、はからずも2000〜2001年度の会長のご指名を受けました。私はひたすらこうした大先輩の教えや精神を受け継ぎ、反映させながら、一年間努めさせていただこうとしました。それは、あっという間の一年間でありました。
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