道元が菩薩の生き方として、布施・愛語・利行(りぎょう)・同事を挙げている。利行とは、利他行である。同事とはわがこととして仕事を同じくし、全面的に支援し同化するということである。
むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。
信長が一番てこずったのは、真宗の一向一揆である。秀吉も真宗の門徒が一番いやであった。彼らは死ねば浄土へ行けると思っているから、なにも怖くない。
家康はそのために東本願寺をつくって、真宗を二つに分け勢力を弱くした。
また、キリスト教弾圧のために、お寺に檀家制度を設け、「私らは確かにキリスト教徒ではありません」といわせた。
そして、その制度を用いて戸籍をつくり、寺ごとに整理し、寺に税金を集める権利を持たせてしまった。そのために坊主が偉くなり、葬式仏教になってしまった。
仏教では絶対に争うなといわれている。怨みに報いる怨みをもってすれば、永久に怨みの尽きることなしといわれている。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。(孔子)
節度を失わない生活態度が大事である。
節倹は、ケチのためではなく、身を引き締めるためである。(森信三) 「積徳厚自受薄」(良寛) 徳を積むこと厚く自ら受くること薄し
運を自分に呼び込むには、朝起きたら、太陽に向かって深呼吸をし、口を大きく開けて、朝の太陽を飲み込むようにする。
太陽を飲み込むとは、あらゆる生き物の生命の根源となっている。太陽の無限のエネルギーを脳に注ぎ込むと同時に、自分の欲しい運を直接脳に響かせるのである。太陽を飲み込むと、脳が一気に活性化し、普段以上の能力を発揮できる状態になる。
また、寝る前に楽しいことを考えるという寝る前のプラスのイメージづくりは眠り上手になるし、人生をプラスに導いてくれる。
ヒルティは「すべての人間を習慣的に愛するように努めよ」と言っている。
戦争へ行ったものは皆「一度死んだ、捨てた命だ」という思いが心の奥底にある。
死ぬ覚悟をした、死ぬ目にも遭った、自分の一生はもう終わっているが、大勢の仲間の死、その犠牲のうえに、今の私の付録の人生がある。だからこだわるものは何もないし、世の中の役に立てば、それで満足という心境である。
昭和19年入学した者皆が、浮かれ気分でいる中に、一人学生服姿で、無心に本を読んでいる先輩がいた。学徒出陣で皆が戦争に行っているのに、なぜこんなところで一人で勉強しているのかと尋ねると、こう話してくれた。
「僕は体が弱くて戦争に行けなかった。戦争に行った友人達は、先に天国に行ってしまったが、自分も体が弱いからもうすぐ天国に行くだろう。だから、たくさんの本を読んで、読めなかった友人達に話してあげたい。」
福沢諭吉は「学問のすすめ」で「学問は、人に伝えるためにやるものだ。世の中に役立つことが、君達の勉強する理由である」と教えている。
学校の席次は、学校の成績のみで決まる。社会での席次は、健康・誠実性・責任感・人間的魅力で決まる。
人生には何事も矛盾はつきものである。矛盾を苦にせず、矛盾の上にのって生きることが必要である。
「万事困難は己の心中にあり」というのを座右の銘にしている。今日会う人と前にこんなことがあったから、きっともめるかもしれないなどと思うと必ずもめる。今日は難しいなと思うと、必ずだめになる。
しかし、今日会う人はあの人か、あの人なら大丈夫だと思うと、うまくいく。
「一怒一老 一笑一若」。
中国に「退一歩」という金言がある。事にあたっては常に一歩退いて物事を考え、反省するという戒めの言葉である。
困難にぶつつかった時、退一歩という消極的な覚悟では右顧左眄(うこさべん)するだけで、難局は突破できない。勇気を奮い起こして突き進まねばならない即ち、「進一層」の精神が必要だ。
上杉謙信 16条遺訓
- 心に物なき時は心広く、体泰(ゆたか)なり。
- 心に我慢なき時は愛敬を失わず。
- 心に欲なき時は義理を行う。
- 心に私なき時は疑うことなし。
- 心に驕りなき時は人を敬う。
- 心に誤りなき時は人を畏(おそ)れず。
- 心に邪見なき時は人を育つる。
- 心に貧りなき時は人に諂(へつら)わず。
- 心に怒りなき時は言葉和(やわら)かなり。
- 心に堪忍ある時は事調ふ。
- 心に曇りなき時は、心静かなり。
- 心に勇ある時は、悔むことなし。
- 心賤(まず)しからざる時は、願い好まず。
- 心に孝行ある時は忠節厚し。
- 心に自慢なき時は人の善を知る。
- 心に迷いなき時は人を咎(とが)めず。
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