四門出遊

釈尊が釈迦族の王子だった頃、白の外へ東門から出た時に、老人に出会う。その時従者に「あれは何か」と聞く。「老人でございます」と答えると、釈尊は「老人とは何か」と重ねて問います。「はい、人間が年を取りますと、あのような姿になります」「従者よ、だれでも老人になるのか?」「さようでございます」「お前も年を取るとああなるのか」「はい」「この私もやがては老人になるのか?」「はい、さようでございます」と従者は答える。

また別の日に南門を出て病人に会い、西門を出て死人の葬送の列に出会う。その都度、側にいた従者にあれは何かと聞く。

最後に北門を出たとき、修行者に出会いその落ち着いた、清らかな足取りで歩く姿に感動して出家したのである。

その時に、「どうしてこのように優雅で、しかも尊い人柄ができたのか」と聞く。その修行者は「私もかつてあなたと同じように老・病・死の人生の大きな問題で悩み続けた。老・病・死の苦悩の解決は他に求めて得られるものではない。また瞑想して観念的に解決のつくものでもない。自分を正しく支配できるように厳しい努力を重ねる以外に方法はない。」と自分の体験を語る。

それで釈尊は出家して最初6年間難行苦行をする。バラモンというのは宿命論的で、この世はどうにもならないことがある。だからこの世は投げて、次の世を幸せにするためには、この世において難行苦行をしなければならない。しかし釈尊は6年間苦行をして、それが無駄だと分かった。
次の世というものはあるかないか、誰も経験したことがない。そんな不確定なことを目標にして一番正確な現実を投げてしまうということは無意味である。
そして、いわゆる楽というものを求めて苦行すれば、欲望をかなえようとすることと同じで、エスカレートしてくるから、いつまでも苦痛でいなければならない。だから欲望を追っかける道の苦行は意味がない。(苦行林)

それで河の岸辺で垢を落としていると農夫が唄を歌いながら帰ってくる。

弦が強けりゃ きつくて切れる
弦が弱けりゃ なお鳴らぬ
強い弱いを調子にしめて
澄んだねおとを聞かしてくりゃれ

歓楽を追っても苦行を求めてもいけない。

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