私は彼が勤められた某大手商社と取引関係深かった関係上、倉岡さんには大変お世話になったものです。
1960年代のことですが、当時当社創業者横尾薫が所有していた阪急六甲駅東北側に構えていた名邸「六甲花壇」(敷地約1800坪)。
その大手商社に担保提供していた関係で彼がよく遊びに来ていただいた六甲花壇の想い出話をよくしていただきました。
今はその六甲花壇も跡形もなくなりました。倉岡様も2015年ころに他界されました。
大手商社も儲からない木材取引から撤退され、当社も規模縮小して、今はプレカット事業に経営資源を集中して細々と生き残っている次第です。
現在我国木造住宅の工法としてとして認知されている「2×4工法」も彼が最初にアメリカ、カナダより導入されたと承っておりました。
ある時彼から「自分の生き様です」といって自作の詩を披露いただきました。
彼の詩を紹介し、倉岡様の御冥福をお祈りしたいと存じます。
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そして今、終わりは近い わたしは終幕に向かって 友よ、はっきりと言おう わたしの確かな真実を、胸を張って言おう
わたしは精一杯生きてきた 全ての道を旅してきた そして何よりそれ以上に私の道を生きてきた
少しは、後悔もあった 話すほどのものじゃないけれどしなきゃいけない事をしてきた 決して目を逸らさずに
地図通りの道を予定通り計画的に 一歩一歩注意深くわき道を抜けて そして何よりそれ以上に私の道を生きてきた
そう、確かに自分じゃ噛み切れないような バカなことも沢山したよ、君の知る通りに そして全てが終わっても、まだ疑いが残った時は全部食い尽くして吐き出してやった 胸を張ってそれらを全て見つめて そうやって私の道を生きてきた
愛したし、笑って、泣いた 私のしたいだけ、失った分だけ そうして今、すっかり涙が乾いたら全てがなんて楽しかったんだろうと思う
そうやってしてきた事を思って そして言おうか 何も躊躇わずに 「違う、“私”ではないよ 私は“私の道”を生きてきた」
男だって何だって、何を得たかで決まるのか? 彼自身でないのなら、何の価値もないだろう 正直な心で感じた事をそのまま言えばいい ただ祈ってるだけの言葉なんかじゃなくて 私が風を手に入れたっていう、その記憶が物語ってる そうやって私の道を生きてきた!
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