仏像あれこれ…鑑賞の対象として

仏像とは如来部の仏様のことで、菩薩部、明王部、天部その他は諸神像と呼ぶ。仏像を仏法の中心として拝むようになったのは、アレキサンダー大王が東洋に侵入した紀元前3世紀の終わりころで、ギリシャは人間なり物が思想の中心で、すべて理想像を人の形で現わした。したがってギリシャの神々は人間の理想像である。

東洋では命は無妙で、人間は一時の形である。どこから来てどこに行くのか、命の流れのごく小部分が人間という形をとる。そのため、初めは人間が形として尊敬、礼拝の対象になることはほとんどなかった。

釈迦が亡くなられた後、仏法を拝む人が礼拝の対象にしたのは仏舎利(仏の骨)、それからお持ちになった錫杖、法衣の一部分、残された跡(仏足跡など)などであった。

ところがギリシャ文明が東方に進み、また釈迦滅後150-200年たつと、釈迦自身の尊像を知っている人もなくなってきた、第1次仏典結集が行われた頃である。本来仏法は自力で修行して大悟するのが原則で、羅漢行が中心であった。いわば小乗的な律を厳重に守ることが、修行の基本であった。

自分の生命が天地の法と一致するならば、自分が悟ることは、人を悟らせることに通じるのではないか。だから人も救わなければならないという大乗の方向が出てきた。大乗の思想、つまり大悲が仏法の中心思想だと考えられるようになる。

そのときに姿を人間の形で現わす風習が西から入り、インダスの上流ガンダーラ地方で、そういう風習が起こった。最初は釈迦が苦行をしている形、肋が出て、背中とお腹がくっついたような形の座禅像で、紀元前3世紀頃に出来上がっている。

それから仏の手助けをし、大悟して仏に近くなっている人々という考え方から菩薩が出てくる。人間が一生懸命努力してなし得るのが羅漢、ということで仏の位ができてしまったのである。そして尊像仏が作られるようになるのである。

ところが、仏法が進展し、哲学的に深くなり、哲学的に仏法を完成した内容が密教だといわれているが、密教になって仏の数がぐんと増えていく。それと同時に仏をお守りする人々が必要になってくる。そこでインドで古くから信仰されていたバラモンの神々、梵天、草駄天、日天、月天など自然を神格化した神々の尊像も、加えられるようになった。

そして如来部、菩薩部、明王部、天部という形の違いが出てきたのである。私たちは仏像というが、原則としては如来様の像である。しかし、一般的には如来はむろん、菩薩も明王も仏像と呼んでいる。

日本の尊像について申し上げると、如来は釈迦、阿弥陀、大日、薬師の4方が多い。後にまとめられた諸経典が仏様の相を書いているが、32相80種好といわれる。仏様は八つの人間と違った特徴がある。全身金色である、螺髪であるといった特徴を備えておられる。仏像を作る人はそれを知っていなくてはならない。

釈迦は応身仏、人の形をとった仏で、苦行を否定しておられる。ヨーガもいろいろお試みになられたが、効果がない。結局菩提樹の下で安居して、沈思して悟りを開かれたということである。我、空全て一体、諸行無常が生命の姿である、相対するものがあることは、瞬時でも止まって相手を認めることで、それではない。

そして法、仏法の中心が大日様、阿弥陀様は人を救うために32の願をたて、一生懸命に修業された方で法身仏である。32の願のうち、往生願、人間を往生させる手助けをする、浄土宗、阿弥陀宗の中心として極楽浄土をお守りになる。病、怪我を救うのは薬師如来で、これはだいぶ後になる。

お釈迦さまは普賢、文珠の補處を従え、阿弥陀様は観音、勢至の補處を従え、ご自身の法を執行する形をとっておられる。

大体、お姿は出家姿で片方にスラっとした法衣を着られ、施無畏位願印の形で立っておられる。座像になると法界定印で、阿弥陀様もそういう形である。ただ阿弥陀様は往生印をお結びになることがある。そして薬師様は薬壺を持ち、日光、月光を脇士として連れておられる。

こうして大乗思想の浸透につれて、仏様の姿が人間の姿をとるようになり、仏教諸尊像の形が出来上がってくる。もちろんその土地によって、土、石、木などの材料で作られ、形も立像、座像、涅槃像などがある。

明王は密教理論の所産で、忿怒部といわれ、持明呪者という意味から、如来は慈悲を本体としているから怒られないのであるが、仏法に逆らうと怒る、その怒りで諸悪をしりぞけるのが明王で、みんな怒り狂った形相をしている。

天部はバラモン教の諸神であるが、仏教が民衆に浸透していくにつれて、いろんな宗徒にも信仰してもらうために、仏教に受け入れたもので、武将の姿をしている。梵天、日天、月天、それに薬師様を守る持国天、増長天などの金剛も天部で、寺院の門をよく守っている。

こういう仏の地域を図で現わしたものが曼陀羅である。曼陀羅は仏の集まりという意味で、金剛界と胎蔵界があり、金剛界には1471尊、胎蔵界には、776尊のお姿が描かれている。その中心におられるのは大日如来で、金剛界では智賢印、胎蔵界では法界定印を結んでおられる。

仏様方はいろんなお姿をしておられる。じっと仏様を見ていると非常にのんびりとしてくる。美術的な干渉も結構であるが、仏様のお顔を見てのんびりする時間をもっていただきたいと思う。

1987年4月20日
ロータリー卓話より

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