仏教の愛(2)

人の生涯が幸せの連続だけですむかと自問してみれば、誰しもそれが容易ではないことに気づくはずです。幸せな状態が一時的に中断したり、全く失われてしまうのがむしろ常態とみられるからです。

幸せな状態が続かない理由には、肉生的なものと、外生的なものとがあります。肉生的なものは人が生きているということ自体から生じるもので避けようがありません。これについての典型的な説話はゴータマ仏陀(ゴータマは後に釈迦牟尼となったカピラヴァストゥの王子シッダールタ太子の家系の名、仏陀は真理を悟って「目ざめた人」の意)の出家のいきさつについてみられます。

太子の父王は太子の幸福のためにあらゆる努力をしています。のちに、コーサラ国の首都サーヴァッティー(舎衛城)にある衹園精舎で、ゴータマ・ブッタは若き日々を回想して次のように述べています。「わたくしはカーシー(ベナレス)産の栴檀香以外はけっして用いなかった。わたしの被服、肌着、上着はみなカーシー産の絹であった。寒・暑を防ぎ、塵・蔓草・露が身にふれぬように、昼夜とも私の頭上に白い天蓋がさしかけられていた。そのようなわたくしに、三つの宮殿があった。一つは冬のため、一つは夏のため、一つは雨期のためのものであった。」と。

にもかかわらず、太子が人間的苦悩を認識することを防ぐわけにはいきませんでした。太子の出家に関る「四門出遊」の説話はそのことを端的に示しています。あるとき太子は町はずれにある遊園に行こうとして東門を出た。そして老人を見て、「あれは何者か」と御者にたずね、御者の説明によってそれは老人というものであり、人は誰でも老人にならなければならないと聞いて心楽しまず、そのまま城にもどった。第二回の外出の時は南門を出て病人、第三回目には西門を出て死人を見て、そのたびに御者から説明を聞いて遊園行きを中止した。第四回目の北門からの外出では、出家の姿を見た。そして、その神々しく満足しきった姿を見たとき、太子はここに自分の理想像を見出したと信じ 出家する決心を固めたというものです。

太子が二十九歳になるまで死人や病人の姿を見たことがなかたということは、事実としては信じ難いとも言えます。しかしこの伝説の意味するところは、老、病、死というありふれた事実を真の意味で自分の問題として切実に感じとり、その問題と対決する必要を身をもって痛感したのがこの時期であったということなのでしょう。

幸せな状態がいつまでも続かず、外生的な事情に左右されて、「はかなく」(頼りなく)、「あだなる」(かいのない)、様については、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡末)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」の名文で始まる『方丈記』の第二段でまとめてとりあげられています。「予ものの心を知れりしより、四十余りの春秋を送れる間に世の不思議(思いもかけぬ事)を見る事、やや度々なりぬ。」として鴨長明があげているのは、大火、辻風(大風)、遷都(人災)、飢饉、地震です。

内生、外生を問わず、親族や親友を失った人は、まるでわが身の一部を失ったかのような、つらくて悲しい思いに陥られるはずです。それを慰めるにも慰めようがないのですが、唯一、傍らで悲しみを共感(同情)する人があれば、またその数が多ければ、つらさは何分の一かに軽減されると言えるでしょう。

東洋木材新聞 令和3年5月20日

目次へ戻る





E-Mail
info@fuyol.co.jp


ホーム 在来工法プレカット 金物工法プレカット 特殊加工プレカット 等 耐震門型フレーム 等
地球温暖化と木材 健康と木造住宅 会社情報 お勧めリンク 横尾会長の天地有情
当社プレカットによる施工例写真 社員・役員のブログ天国