仏教の「愛」

キリスト教では「汝の隣人を愛せよ」と説くが、仏教では「愛してはならない」と説いている。

仏教で愛が否定されるのは、愛は常に自己本意だからである。愛とはまず自分自身を、ついで我が子、我が家族へと広がるが、いくら広がってもその心の中には依然として、自己への愛「自己中心主義」がある。

その愛は必ず執着を伴い、愛する対象を我がものとして永年つなぎとめたいという心の情、つまり「自己中心主義」が生まれる。

愛は本質的に残酷であり、愛することによって他人を傷つけ、愛されることによって人は傷つく。

仏教では愛を妄執というが、それは愛あるところに必ず執着があるからで、妄執となったその愛を「渇愛」という。渇愛とは大海原を漂流する者が、あまりの渇きについ海水を飲んでしまい、渇きが癒えるどころかより一層の渇きを覚え、死に至るまで海水を飲み続けなければならなくなる。

したがって仏教では、「愛」の上辺の装いを剥ぎ取り、その本質を暴露して「愛してはならない」としている。

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