まず、職業奉仕はロータリー哲学の根幹をなすものであり、職業奉仕を語ることはロータリーを語ることにもなるといえる。 ロータリーの目的を一言でいえば「奉仕の理想の追求」、「職業奉仕の推進」であると言われている。 しかもご存知の通り、ロータリーは「We serve」ではなくて、「I serve」だと言われている。 ロータリーの奉仕は各自の日常の職業の中で、実践・推進することが基本理念として求められている。
ロータリーの定義は・・・ロータリーの手続き要覧の第三章や私たちの名簿にも最初に記載されている。 そして続いて「ロータリーの綱領」が定められ、記載されている。 一言でいえば「ロータリーの目的は職業奉仕の推進」であり、「職業奉仕」抜きではロータリーではあり得ない!というのが他の奉仕団体が持たない理想である。
そして。ロータリアンの行動基準としていつも私たちが唱和している「四つのテスト」がある。 この四つのテストの創案者はハーバート・テーラーというごく普通の実業人である。行動家で、信仰心厚く、道義を重んずる彼は実業界で成功を収めたという。 そして、ある日、彼は倒産寸前の調理器具メーカーの経営を引き受けることになってしまった。彼は会社立て直しの手段として、社員たちに倫理的価値観の目安となる指針を考えたという。 これが今日の四つのテストである。 1942年、当時のRI理事のシカゴのリチャード・ベナー氏がロータリーにこの四つのテストを取り上げるべきだと提案した。 RI理事会は、翌1943年にベナー氏の提案を承認し、四つのテストを職業奉仕のプログラム基本的構成要素とした。 今日では、この四つのテストが奉仕部門すべてにおける不可欠の要素として認識されているのである。 さて、1905年にシカゴで誕生したロータリークラブは、この奉仕の理念を平易に表現する試みが繰り返された。 1910年、A.F.シェルドンは職業人の行動基準は「利己と利他との調和」であるとし、 He profits most who serves best. 最もよく奉仕する者、最も多く報いられる。 1911年 B.Fコリンズは私利私欲を捨ててこそ本当の奉仕だとする Service not self. 無私の奉仕 が提案されたが、これはあまりにも宗教的自己滅却を伴うものであった為 1912年 シェルドン一派から Service above self. 超我の奉仕 自己滅却とまではいかないが、やはり自利より奉仕を優先するという厳しい内容となっており、ロータリアンに高い境地が求められているのである。
現在はこの「超我の奉仕」がロータリアンに求められている基本理念となっており、先ほど申し上げた通り、ロータリアンには高い哲学的境地が求められているところである。
さて、このようなロータリーの職業奉仕理念がロータリーの精神的主柱と形成されていった背景とは何であったのか?
もともと、西洋の宗教は禁欲としての「勤労」を重んぜられてきた。 とは言っても、もっともさかのぼれば、肉体的勤労は奴隷や身分の低い階層の人がするもの・・・・ではあったわけだが・・・・
さらに16世紀にはじまるルターらによる宗教改革の中で、ルター、カルヴァン等は「神の栄光を増し、神の御心にかなう生活態度はこの世において職業活動に勤勉すること、すなわち不断の勤勉に他ならない」ものとした。 職業活動は「隣人愛として、神が課したものであり、人々は職業人として社会に奉仕することによって、神に奉仕すべきという精神を確立したのである。
ルター以後、「職業」が神の命令の意味で、ドイツ語で「Beruf」、英語で「Vocation」、「Calling」という言葉を使っているのも、こうした背景によるものである。 言い換えれば、西洋資本主義は本来、その根本にプロテスタンティズムとか勤勉、節約、社会への奉仕といった精神的バックボーンがあるわけである。
一方、経済学では色々な経済学理論が展開されてきた。 経済学の始祖と言われているアダム・スミスは「国富論」などを著し、各個人が利益を追求することは、結果として社会全体・国全体に利益になる。価格メカニズムの動きにより需要も調節される。「神の見えざる手」が働く。
20世紀初めの社会経済学者マックス・ウエーバーはプロテスタントの経営者が事業に成功していることに注目し、論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で「近代資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から生み出された勤勉に生活合理化である」とした。 ロータリーの職業奉仕哲学は、マックス・ウエーバーの経済理論と共に、ルター、カルヴァン等の「自らの職業は神からの思し召しであり、神への奉仕そのものである。」という精神に影響を受け、さらにさかのぼれば、キリスト教の原罪思想にも行き着くのではないか。
簡単に言えば、「神との約束を破って知恵の実を食べたアダムとイヴの子供である私達は生まれながらにして、罪人であるという考え方」原罪思想である。 それを乗り越えられるのは、神を愛すること。隣人を愛すること。としている。
人間はこの世に生まれてきた瞬間からさまざまな恩恵を受け、さまざまな権利も持つことになる。権利と業務は表裏一体である。その義務とは使命である。 職業というのは人体の細胞のようなものであり、お互いが職業上の機能を分担することによって、社会が成り立っている。職業は私どもにとって、この世に生まれてきたものの使命である。
「資本主義経済社会では、この自分中心の罪深い・利己的な人間が自由に経済行為をすることにより、適当な競争を生み、職業倫理や道徳からはずれた経済行為が生まれ出てくる。各職業人は自らの職業に倫理観を持ち、真心で仕えよう。道徳的に正しく職務を遂行しなければならない」ということなのだが。 それだけでは飽き足らない気がする。
ロータリーの職業奉仕は英語で Vocational Service である。 Vacation も神からの思し召し、Serve も神へお仕えする。である。
とすれば、ロータリーの哲学はもっと深遠であるはずだ。 私たちは「利己的な欲求(事業の継続的安定や拡大のための利益も)と人間としての使命感・義務を調和させながら、さらにそれを超越する「隣人への限りない奉仕」という感情を常に持ちながら職務に精励する。」ことが求められているものと思う。
(私のスピーチ原稿より) |